●銘木は高いと拒絶するもの? "銘木"と言うと、依然として「高価なもの」「入手しにくいもの」という意識が先に立つようです。
それは、これまでの銘木の歩みから生まれた特殊性と、高度成長期の好況時の姿を残している銘木業界の問題が大きいのですが、このことは、本誌第16号の特集「住まいに生かす銘木の趣き」で触れているように、20世紀の仕組みと習慣からの脱皮が問われているところです。
銘木業界自体の問題は、これから徐々に改善されて行くでしょうし、新たな需要が広がるならば、必然的に変えざるを得ない面が生まれてきます。
そこで、建築・設計士や大工・工務店をはじめとする建築に携わる人たちや、木材を利用するみなさんに呼びかけたいのが、銘木の積極的な利用です。
戦後の建築学科の教科では、木材を学ぶ機会が著しく減少したために、木材についての理解や知識が乏しい面があるのは仕方のないことかもしれません。
まして、銘木となれば、なおのこと知識がない上に、先に示したように、高嶺の花か縁のないもののような感じが強いのかもしれません。
建築家の中には、頭から銘木を拒絶している人も少なくないようです。
建築に携わる一人ひとりは、得手不得手や好き嫌いがそれぞれあるのは当然ですが、材料をとってみても、どの材料・どの材種を使うかは、建築関係者の意志だけで決まるのではなく、施主の意向に添いながら決められるもののはずです。
かつて、建築関係者、とりわけ建築・設計士のほとんどは、洋風住宅やプレハブ系の住宅づくりが主だったはずです。
ところが、最近は、戸建て住宅に関わる建築家の70%以上が、木造を学び、木造もしくは半木造に取り組んでいるようです。
この変化の意味しているのは、建築家自身が意識して志向した面もあるでしょうが、多くの場合は施主の意向に応えるためであり、時流の変化への対応にあったのではないでしょうか。
その背景には、家をつくりたいと希望する人の80~90%が木の家を求めていることがあるはずです。
これまで学んできたものや、歩んできた方向を変えても木造を手がけたいということの意味は計り知れぬ大きさがありますし、そこには施主(生活者)の意向があったということです。
少々回りくどい言い方になりましたが、そこで銘木についてです。
銘木の好き嫌い、使う使わないは、建築家や工務店の考えで決めないでほしいということですし、さらにすすんで言えば、銘木を含めた木材を知り、施主への選択肢を広げるのも建築に携わる人たちの役割であり、それが仕事の幅を広げることになることを考えてほしいと思います。
前稿で1部紹介したように、昨年、本誌主催で開催した大阪銘木協同組合での「銘木見学セミナー」に参加した人の多くが、各部門ごとの銘木を見て、その種類と量の多さに驚かれています。
1つひとつの銘木を見れば、これをどこに、どう使えばいいかとイメージを膨らませられるのも建築家ならではの想像性であり、創造性だろうと思います。
残念ながら、意に反して価格の表示がなかったり、購入できなかったりという大きな問題はありましたが、逆に言えば、この問題がクリアされれば、そして価格が高級寿司店的でなければ、買いたい、使いたいという人が70%に上っています。
次回4月20日(土)の見学セミナーは、この2つの問題に対処する企画ですので、実際に見れば高額なものもあれば、案外安いものもあるはずです。
●銘木は自然の木の1部そこで、銘木とはどんなものがあるかを簡単に触れておきます。
銘木として扱われているものを大きく分けると、原木(丸太)、原木を製品化していない製材品、加工された製品、30年生前後の原木を磨いた磨丸太・絞丸太などになります。
(詳細は本誌第4号、第16号の銘木特集を参照してください)このそれぞれは、数十種類に分けられますから、種類としては数百種類になります。
この中には天井板、腰板、造作材、大黒柱、磨丸太類、彫柱・框類のように、そのまま現場に持ち込めるものもたくさんありますし、大工作業を経てテーブル、カウンター、造作家具、棚などにできる板・盤・角材などの製材品もあります。
しかも、これらは、1本、1枚単位のものや1束(天井板や廻り縁などの造作材他)単位のものなど様々です。
価格も、同じ分類のものの中でも高値から安値まで多様です。
それは、1本1本の木がみな違うという自然の素材で、人為的にグレードがつけられているからです。
節の有無、色艶、木目の具合、材色、年輪の詰まり具合、太さ(大きさ)、加工方法など、いくつもの基準があるのですが、それは、価格と現物を見て折り合いをつければよいことになります。
以前にも書いたように、銘木の一般的定義を言えば、150年~数百年生の大径木、鑑賞価値の高いもの、形状がまれなもの、材質がすぐれているもの、類いまれな高齢樹、稀少樹種、由緒ある木、高価木という定義のひとつ以上の要件を満たすものとされています。
これらのすべて、もしくは大部分を包含しているものと考えると、それは高価なものになるでしょうが、小径丸太類は10年生前後から30~40年生前後の杉・檜などを磨いたものから始まりますし、造作材も必ずしも150年生以上の原木から取ったものばかりではありません。
高いものもあるが安いものもある、ビックリするものもあれば普通のものもある、すごい木目のものもあればそれなりのものもあるというのが現在の銘木です。
しかも、かつての優良原木の過伐もあって高級銘木資源が減少している現在から言えば材質を難しく言わなくても、長年にわたって自然が育てた高齢樹は銘木と呼ぶべきでしょうし、使うことで味わいが出て趣を高めるものはことごとく銘木と言うべき時代にきています。
本誌では、従来からの概念に当たる素晴らしいものは超銘木か高級銘木として区分しそれ以外は、一般材とは違うがそれほどでもないものを総じて銘木と呼べばよいと提案しています。
呼称として受け入れられるかどうかは、今後を待つしかありませんが、現実にはそういう内容へと向かっているのも事実です。
ですから、銘木自体が、かつてのような枠組みでは語れなくなりつつあるのですから建築に携わるみなさんも、毛嫌いしたり、拒絶したりすることなく、銘木に接してほしいと思います。
●家と室内を輝かせる銘木21世紀のこれからは、いよいよ木と木の家の時代です。
本号だけでなく、「木のこころ」では、これまでいろいろな角度から戦後の洋風化を中心にした住宅とその住宅が生んだいくつもの矛盾について書き、論じてきました。
戦後の日本は、住まいの問題だけでなく、政治、経済、文化、科学、教育その他のあらゆる面で西洋文明に支配され、西洋合理主義の価値観の下で動かされ、資本主義的発展を遂げてきました。
その発展が、今日のあらゆる矛盾を膨らませているのですが、その裏で失ったもの(失いかけたもの)を、一言で言えば「日本と日本らしさ」です。
西洋合理主義を貫いたが故に、さらに洋風文化に染められたが故に生じた矛盾であればこの矛盾や抜き差しならない危機的状況、先行きの見えない混沌から抜けだし、未来をつくれるのは、見失いがちであった日本らしさ、日本の文化、日本らしい考え方と心持ちでしかないはずです。
住まいを見ても、現代病の数々、親子の断絶や悲惨な事件、シックハウス症候群等々の問題を生んだのが洋風住宅であり、洋風住宅に流れる個人主義、排斥主義、反自然主義にあります。
このような住まいが生んだ矛盾を克服するものこそは日本らしい木の家しかありません。
本号の特集Ⅱで書いたように、健康を育てられるのも、家族の絆を深められるのも、人間らしいこころと情緒を育てられるのも、自然と共生した木の家、木の力によって可能になるのです。
今、多くの人たちが、木と木の家への希望と期待を強めているのは、戦後の歩みへの批判と反省という内容を無意識の内に強めているからです。
木の家は、自ずと心を和らげ、癒してくれるのですが、その中に銘木を生かすことはまた特別の意味があります。
1本であれ、1枚であれ、1ヶ所であれ、1室であれ銘木を生かすことは、第1にその家の中、その部屋を引き締め、輝きを持たせることになります。
多くの木材が使われた中での価値ある銘木は、木材全体を引き立てながら、その中で趣を放って輝くことになるのです。
第2に、施主、住む人に喜びと誇りを持ってもらえるものになることです。
住み人が愛でると同時に、訪れる人にはさり気なく語りたくなるのも銘木の持つ魅力です。
そこで、その銘木の持つ由来や歴史を語れるならば、ひとつのドラマさえ始まることになりはしないでしょうか。
このように銘木は、喜びであり、輝きであり、心の拠り所にさえもなる性質を持っているのです。
繰り返しますが、21世紀は木と木の家の時代へと確実にすすんでいます。
今はまだ大きな広がりになっていないようでありながら、徐々に大きくなっていますその木の家に銘木を生かす、それは住み人の喜びに応えるものであると同時に、つくり手の識見と技量を示すものともなるのではないでしょうか。
まだ開放されきれない銘木の世界かもしれませんが、それを押し開くのは、建築に携わる人々と生活者(施主)の声であろうと思います。