住宅と聞けば、お洒落な洋風住宅や建売住宅の1棟がイメージされ、家と聞けば、古い木造の家をイメージされる人が多いようです。
住宅という表現が日常的になり、家という呼び方がやや疎まれるような感じを強くした20世紀でした。
戦後の昭和30年代以降、大々的に普及させられたのがプレハブ住宅に始まる洋風住宅で、木造住宅・木の家づくりは片隅に追いやられてきました。
「平家物語」ではありませんが、「平家にあらざるは武士にあらず」のように、「洋風であらざるは住まいにあらず」という風潮がまかり通ってきました。
洋風住宅が席巻してから、間もなく半世紀を迎えようとしています。
昭和から平成に入るにつれて、健康被害、粗悪・欠陥住宅という問題が表面化したのがメーカーをはじめとする建売住宅・洋風住宅でした。
20世紀末から21世紀に移るなかで、自然と健康と本物への要求は大きな高まりを見せ、木と木の家づくりへの希求も大きくなってきました。
この木造住宅・木の家の要求の高まりを前に、これからの住まいづくりは洋風と和風が2極化するのかという質問が多く寄せられてきています。
そこで本特集では、戦後の日本の特異な家づくりの歩みとその背景を探り、住まいづくりの根底に流れる思想との関係も見ながら洋風住宅の本質的問題に迫りました。
そして、2極化論については、主流を占める石の文化から木の文化へとすすむ過程としての2極化ととらえて考察しています。
当たり前のことが取り上げられず、本来あるべき姿が否定されて久しいのですが、日本には、日本の気候・風土があり、風俗・習慣があります。
その基礎の上に築かれ、培われてきた文化があります。
その日本らしい文化こそ日本の誇りであり、伝統です。
その誇りある文化を1人ひとりの日本人の心と手に取り返すことこそが求められ、その大きな役割のひとつが木の家づくりを広げることであると思います。
長く洋風住宅観で頭を曇らされてきた人びとに、「家」観をよびさまし、木の家をつくることの素晴らしさ、木の家で得られる「住みがい」を大いに語っていこうではありませんか。
日本の家づくりの戦後の特異性
~文化は伝統、民族の証し~
● 古来からの日本の家は、木をはじめとする地元の自然素材を使った、自然と共生する木の家でした ところが戦後、とりわけ高度経済成長期以降の日本の家づくりは、プレハブ住宅にはじまる洋風住宅 が主流であるかのようになっています。 ハウスメーカーや建築界が大手を振ってつくってきたのが洋風 住宅ですし、行政が保護して推進してきたのも洋風住宅でした。 日本の家づくりのスタイルが一変したのが戦後ですが、それがどういうものであったのか、何故変わっ たのかを考えようとするのが本稿の主旨で、そこから改めて21世紀の日本の家づくりを考えたいと思い ます。
●文化の変質は民族性を失わせる 戦後の家づくりの問題を見る前に考えるべきは、民族と民族の文化についてです。 民族の定義は「文化の伝統を共有することによって歴史的に形成され、同属意識を持つ人々 の集団。 文化の中でも特に言語を共有することが重要視され、また宗教や生業形態が民族的な 伝統となることが多い」(広辞苑)とされています。 厳密に単一民族、単一言語、単一宗教とする国は世界的にはごく稀ですし、歴史的には民族 移動、戦争によって境界は入り組んでいます。 日本の場合、約30万年前の多民族の融合による 民族形成、アイヌ民族との融合などがありますが、島国で他民族の侵略がなかったことから、数万 年の歴史を共有してきた民族として語っても差しつかえないと言えるでしょう。 しかし、世界を見れば、1国家1民族はわずかで、複雑ですから、簡単には語れない面があり ますが、ここでは民族を定義することが本旨ではありませんので、一般的に考えての民族として表 現します。 民族によって差異はありますが、言語、人種、宗教、その他様々な地域特性などが絡み合って それぞれ特有の民族性がつくられ、特有の文化を育んでいます。 それぞれの民族の文化が特有であるのは、民族性を形づくる特有の背景や要因をもって、長 い年月をかけて育まれてきたことによっています。 ある民族が、他民族の文化を摂取することはあっても、文化を入れ換えるということはできない ことで、文化は、輸入できるものでも輸出すべきものでもないのは余りにも明らかだと言えます。 現在の日本人の感覚からすれば、文化と伝統文化は区別して考えられているようで、文化と言 えば、世の中が開けて生活が便利になるという側面を強く感じ、伝統文化と言うと文化遺産的なも のや芸術や工芸などを意識する人が多いようです。 ここにはすでに、戦後社会の中で日本の文化の概念さえもが歪められたことによる弊害があると 言えます。 なぜなら、文化は本来、長い年月をかけてそれぞれの民族が特有の背景や要因によってつくり 、育てられるもので、その中には進化・進歩という面も持ちはしますが、「衣食住をはじめ技術、学 問、芸術、道徳、宗教、政治などの生活形式の様式と内容を含む」(広辞苑)を総称した表現なの です。 ですから、民族の文化は、そもそもが伝統的なものであるはずです。 因みに、伝統は「ある民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い、伝えてきた信仰、風習、制度 思想、学問、芸術など。 特にそれらの中心をなす精神的在り方」(広辞苑)と解釈されているように 伝統となるものは文化そのものと言って良いでしょう。 文化と伝統文化を区分すること自体がおかしいので、伝統という文言をつけなくても文化は伝統 そのものであることを確認する必要があります。 民族が、自分たちの文化を失うということは、民族としての歴史と存在の否定につながるものです 民族としての歴史と存在を否定するということは、国を売ることであり、他民族に従属することを意 味します。 戦後の日本の姿は、まさにそれに近いものといえるのですが、そのことすら気付かないように日 本を支配し、従属させるための大がかりで巧妙な仕掛けがあったのです。 このことについては、本 誌第5号特集Ⅰその(1)「地場産業こそ最良、地場産業に栄あれ」や、第9号特集Ⅰその(2) 「なぜ木の家づくりが21世紀の本流になるのか」、第16号特集Ⅰその(2)「日本らしさを取り戻し 木の家づくりを広げよう」をはじめとして折に触れて書いていますが、改めて整理しておきます。
●戦後日本の闇の支配者
資本の論理で統轄される「近代」を動かしているのは国際金融財閥・ユダヤ資本で、その目的は
資本主義体制と社会主義体制を操り、全世界を支配することにありました。
この目的を遂行する上
で、20世紀の資本主義体制の盟主の位置の確立をめざしていたアメリカにとって、日本はアジア
支配の要であり、対ソ戦略の要として従属国にする必要がありました。
それを実現させるために日本軍を南太平洋に引っ張り出して、第2次世界大戦へと戦火を拡大
させる策略が組まれたのです。
その突破口が前号(第18号)の巻頭言で書いた日本軍による真珠
湾攻撃だったのです。
アメリカ軍の参戦で、日本は一気に敗走しはじめ、本土空襲と2発の原爆投下で無条件降伏し
ポツダム宣言を受諾させられました。
占領軍として日本へ進駐し、全権を掌握したのがアメリカで
あったのもシナリオ通りと言えるでしょう。
以前にも書いたように、「近代」の黒幕である国際金融財閥は、他民族を支配するために、その
民族の精神的伝統や文化を壊滅させ、かつ無産化させることが達成目標とされています。
(第5号参照)
この目標達成のために、あらゆる国家機関が総動員されたのはもちろんですが、右から左まで
様々な政党・団体が組織され、手を変え品を変え、切口を変えて、有形無形に国民に襲いかか
り、西洋文明で洗脳し、西洋合理主義的な価値観と科学至上主義での概念を絶対的なものと認
識させ、洋風文化を礼讃するように仕向けました。
弥生時代以前の日本の古代史を隠蔽したのも、見えない世界を否定してきたのも、木の家づ
くりを彼方に押しやり、日本の林業と木材を衰退させたのも、すべてがこの政略の下で行われた
ものです。
左翼政党や団体を、天皇制や日の丸・君が代に反対して正義ぶらせたり、すべての戦争責任
が日本にあるかのようにアジアの諸国の言いなりになるようにしているのも、日本人の愛国心や民
族性を奪い去る方策でしかないのです。
(日本に戦争責任がないと言っているのではありません)
政府・保守政党と行政の施策が、アメリカの国益、国際金融財閥(多国籍企業)の利益を代弁し
政策決定はアメリカとの合意なしにはできないでいるのです。
国民にそれによる犠牲を押しつけ、
巧妙に従属性を維持することを正当に見せているだけのことです。
一方、無産化の策略はより露骨で、多くの悲劇も伴うものでした。
木材攻撃と外材化で林業・木
材業を衰退させ、山林の荒廃をもたらし、農業への減反政策、重課税、近代化、肥料や農薬負
担の増大などで農民をサラリーマン化させました。
教育内容も、西洋文明を全面的に受け入れ、個々の能力を引き出して育てるのではなく、本質
や本然を考えることよりも、目先を追う個人主義者をつくることに主眼が置かれています。
古代からの歴史の真実を隠し、人物と出来事だけで歴史を語ったり、数値化できるものしか認め
させなかったり、モラル(道徳)を教えないのは、日本人らしさを失わせるためと言うしかいのです マスコミもまた、直接・間接に国際金融財閥の支配を受け、国民の意識づくり、世論操作の先兵
となっているのですから問題にしなければなりません。
マスコミの多くには、西洋文明による国民の
洗脳と無知無力化を企図し、偽りの情報を真実に見せかける役割を果たしている面が数限りなく
あるからです。
書き続ければキリがないほど、あらゆる分野のあらゆる力が、総がかりで戦後の日本の支配制度
をつくり、支えてきたのですから、疑問や矛盾が生まれたり、怒りがあっても、その根本原因に迫る
ことは至難のことでした。