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歴史に根付く島国日本の特異性を考える
●自然の変化に合わせた暮らし 古代からの日本人は森の民で、数万年、数十万年を広葉樹の森を主とする自然の懐ろで暮らしてきた民族です。
この中で、自然を観る、自然を聞く、自然と語らう、自然を味わう、自然を愛でるということを日常の様としてきました。
それは、自然の変化に合わせて暮らし、より深く自然の変化を感知することにもつながります。
稲作が広がり、農耕民族としての傾向を強めると、一段と自然のサイクルが重要視されることになり、季節の変化を読み、節目を大切にするようになります。
日本の暦には二十四節気という節目が記されています。
2月4日頃の立春に始まり雨水、啓蟄、春分と続き、翌年1月20日頃の大寒までの24の季節の移り際を言い、その時々が農作業や生活の節目とされるものです。
それに初夢・七草に始まり、節分、彼岸、入梅、土用などの雑節・暦日があり、元日から始まる各節句、中元、お盆、仲秋の名月、大祓いなどの年中行事の日があります。
1年365日の中にこれほど多くの意味ある日を持つ国もないでしょう。
これらの中には、中国から伝わったものもありますが、日本独自のものがほとんどです。
とりわけ季節の移り変わりに応じた節目は日本ならではのものです。
見落してはならないことは、暦があって、それに応じて暮らしをしたのではないことです。
暦はなくとも古代の祖先たちは、自然とともに生き、自然の摂理に従って暮らしていました。
右脳が働き、宇宙の神々と交信できたのは、このような自然との絶対的な関係を持ち、自然によって磨ぎすまされた精神と豊かな感性を育て、物欲に支配されていなかったからと言えるのです。
この感性と神々の教えによってより深く季節の変化を生活の中に刻み、後にそれを暦に記したのです。
日本の二十四節気をはじめとする節目、祭事、行事は、このように古代からの先人たちによって感知され、つくりあげられたものであることを知ることができます
●自然の音を聞く日本人日本民族は、古くから自然と季節の移ろいの中で優れた感性を磨いてきたのですが日本人が自然のひとつひとつを受け止めることができる大きな要素に、自然の奏でる音を聴きとる聴力があることがあげられます。
本誌第2号特集Ⅱ「広葉樹と内装の世界」で(37頁)日本人の感性に触れましたが、その中で、可聴音域を取り上げています。
Hzで表される音波を聴き取れる範囲のことを可聴音域と言いますが、それは、各民族の言語の響きの音域で知ることができます。
日本人は英会話が総じて上手でないとか、欧米人との英会話でヒアリングが下手だと言われます。
その理由は、英語の音域は2000Hz~10000Hzとかなり高音域ですが、日本語の音域はそれよりはるかに低音域で150Hz~1500Hzですから、日本人の聴覚では英語をきれいに聴きとることが難しいのです。
しかし、肝心なことは英語が聞き取れるかどうかにあるのではなく、自然界の音波を音として聞き取れるかどうかにあります。
自然界でも種類はあり、かすかな自然の風や葉音、植物の音波、動物や鳥の音波とありますが、総じてその音域は低く、中には1000Hzを超えるものもありますが、100Hz~500Hzが主です。
日本人の聴覚は、これらの自然界の音をそのまま聴き取れ、さらに耳を澄ませばもっと低い音を聴くことが可能です。
そして、その音を擬音化することもできますし、自然を深く感受することで、自然の現象で「しんしん」「しとしと」などと疑似化することもできます。
ところが英語圏の人たちは、自然界の低い音波を聴き取ることができず、聞こえても雑音に近い感覚で受け止めることになりますから、擬音化や疑似化で自然界を表現することが困難になります。
低い音波というのは、すべての音波の底辺を意味するもので、前述の岡田多母さんは「ヘルツがもっとも低いということは、それが底辺となって、すべてを網羅することができるということを意味します。
ひとつの音叉が鳴ると、ほかの音叉が共鳴して鳴りますが、日本語はそういういちばん基底の音を持つことによって、ほかの音波すべてを鳴らすことができます。
母音の言語として成り立っている特徴も、そのことを確認させてくれます。
(愛しのテラへ)」と言っています。
日本人の低音域を育ててくれたのは、自然界との一体化であったのですし、一語一語が神・原子につながる母音の言語によって、日々育てられているからと言えるので、それが日本人の感性をつくる基礎となっているのです。
このような基礎の上に、日本人は、和歌や雅楽、絵画や唄で、より深く自然を感じ取ろうとすることで、より感性を豊かにしていると言えます。
●21世紀をつくる「和」のこころ物質文明、科学絶対主義の近代西洋思想・資本主義的な工業化社会の発展の結果として、地球環境も社会も経済もが危機に直面しているいま、新しい時代をつくるには価値観の大転換と、人びとの意識のめざめをすすめることを基本とするしかありません。
それを成し得るものこそが、日本の大調和のこころです。
物欲と戦争に明け暮れている世界を、自然との調和と共生の思想、統合と統一の思想にいざなう役割を持つものこそが日本らしさであり、和のこころです。
その意味で日本の歴史を振り返ると、この50余年間、異民族支配で眠らされていたとは言え、長い島国の歴史が今の時を準備してくれたと考えることができるようです。
日本は、約30万年前に民族形成がされて以降、昭和の時代まで他民族の政治的・軍事的支配を受けることなく、そのままの日本を伝え残してきました。
世界のほとんどの国は、他民族との戦争で国土を焼かれたり、国境の変動がありました。
それに比べれば、元軍の襲撃以外、他民族の侵略の危機にさらされたこともなく四方を海に守られて国境を守り続けたのは、世界的にも日本しかないと言われるほどです。
元来が、多民族との融合があって和合する民族であり、神代から受け継がれてきた和のこころ、大調和の精神を持つのが日本民族です。
しかも、侵略された経験もその危険も感ずることなく暮らした民族の中に育つのは、自ずとのどかで和すこころであり、助け合い、認め合うというところが基本にありました。
もちろん、朝鮮からの渡来人が来て以降の日本では、大小の内戦は数多くありました。
この中での勝者敗者の関係はありましたが、同一民族内の戦いは、他民族による侵略や侵略戦争とは本質的に違う面を持ち、何らの民族性を損うものではなかったと言えるでしょう。
世界を救い、地球と人類の新しい時代、より高い次元のステージを21世紀につくる担い手として日本が存在し、日本人が日本らしい感性を失うことなく保ってきたのです。
島国日本の長い歴史は、21世紀のための準備と試練と修養のためであったと考えるのは、考えすぎと思われるでしょうか。
現実の問題としては、この50余年の西洋文明による物質的・精神的支配によって日本らしさが失なわされたり、日本人らしい感性を育てられなくなったりしています。
まだ洋風を讃美したり、日本らしさを否定することが先進性だと誤解する傾向が根強く残っていますが、日本らしさこそが21世紀をつくる土台になることを強調しないわけにはいきません。
●「和」を形にする木の家づくり 日本らしさの根底にあるものは、すでに見てきたように、自然との調和と共生であり、大調和の精神です。
先日、あるテレビ番組で、欧州共同体実現のために半生を捧げたリヒャルド・グーデンホーク伯爵が紹介されていました。
彼は、第一次世界大戦で荒廃したヨーロッパを救うのは、全ヨーロッパの統合、ひとつのヨーロッパをつくることだとして立ち上り、ナチスの迫害を受けながらもたたかい抜き、遂にヨーロッパ連合(EU)の結成を実現させた立役者でした。
日本人の母を持つ彼は、自分の運動を語った時に、自分には日本人の「和」の精神が流れていたからだということを述懐しています。
競争・対立から共生・統合へと向かおうとしている21世紀にこそ求められている「和」のこころです。
日本人の血が流れているとは言え、半分は欧州人の血が流れているグーデンホーク氏においてすら、その「和」のこころをもってEU結成に活躍したのです。
言わんや私たち1億2000万人の日本人には、脈々と流れる大調和のこころが宿っているのですから、そのこころを揺り起こし、実践に生かすための働きかけが必要になっているのです。
日本の木を使い、木の家づくりを押し広げることは、そのためのもっとも確かな働きであり、時代をつくり変える基礎となるものです。
勇ましいスローガンよりも、一人ひとりの心に灯をともし、「和」と「愛」を育てる木の家づくりは、遅々とした動きに見えながらも、現実的な力となることに確信を持ってほしいと願っています。
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