先ごろ「木造住宅の未来を展望する」というシンポジウムがあって出席した。そのとき「最近では家を造るものではなくなって、買うものになった」という話を聞いてなるほどと考えさせられた。いったい造る家と買う家とはどこが違うのだろうか。そのときパネリストの宮本忠長さんは、住宅の設計を頼まれたら第一年目は、その家族の年中行事を調べて暦を作る。それが設計の第一歩だ、という話をされた。宮本さんは長野県建築士会会長を務める著名な建築家で、すでに三百戸以上の住宅を造られた方だが、さすがに着眼が鋭いと感心した。造る家というのはそういうものを指すのだろうが、庶民にとってはそのレベルの家は高嶺の花だろう。そうだとすれば、買う家はどのようにしたらよい家が選べるのだろうか。
売る家の代表はプレハブ住宅と建て売り住宅およびマンションだが、私の記憶では、住宅産業の四十年の歩みの中で、目標とするイメージは四回変わって釆たと思っている。最初の目標は「量」 であった。戦後間もないころで大量の住宅が不足していたので、それを埋めることが急務だったからである。やがてその不足が埋まってくると、二番目の目標は 「質」に移った。狭い家を広くすることに重点が置かれた。次の三番目の目標は「快通性」 であった。アメニティという流行語が生まれたのはこの時期であった。その言葉の新鮮味が薄れてくると、四番目の目標は「健康」になった。そして理想の住まいの条件は高気密・高断熱だとされた。しかし平成八年以降事情は大きく変わることになった。その理由は高断熱の必要性はよく分かるが、高気密の家はマホービンと同じで、その中には建材から放出される有害なガスや、もろもろの生活用品から出る揮発物質が充満して、ガス室と同じ危険性があるのではないか、という疑問が出たからである。それによって住宅産業界は大きく揺れた。「新築病」という流行語がその騒ぎの大きさを物語っている。
ところで私の専門は人間工学だが、その立場から見ると、これまでの住宅産業の歩みの 中で、
住まいの主人公は人間という生き物だという基本を忘れていたために、軌道修正を余儀なくされたことが二度あったと記憶している。その一つは精神面における配慮が欠けていたためであり、もう一つは肉体面における対応が適当でなかったための軌道修正であった。
最初の例はハウス55の終わった後の昭和五十七年の修正である。ハウス55は昭和五十一年から五十五年にかけて行われた国の大プロジェクトであった。それは自動車産業の技術に習い、大量生産、大量販売の方法によって、庶民に安価で良質な住宅を提供しようという企画であった。この企画は五カ年の歳月と十七億の金をかけてほぼ目的を達成した。しかし五十七年に通産省から今後の住宅産業のあり方はいかにあるべきかという諮問が出された。それに対して委員会が設けられて討論が行われたが、その答申の中に、次のような反省が重要事項として記載されている。
家というのは、まず気候風土があって、それに長い生活体験が加わって生まれてきた文化の産物とでもいうべきものである。だから地方ごとに違いのあるのが本来の姿だ。それなのに都市郊外に建つ課長さんの家をモデルにして、工業化によって大量生産して、北海道から九州まで同じ家をばら撒いたら、日本文化の破壊につながる恐れがあるのではないか、という反省がおこった。
そのことは音楽にたとえて説明するとよく分かる。名器を作ってばら撒けば名曲が弾けると考えるのは錯覚だ。どうすれば名曲が弾けるかというソフトの研究が欠けていた。それでは雑音が出るばかりで、名曲は弾けないということに気がついた。そこで 「住まい文化推進運動」をおこして、ソフトの面を補うことにしたのである。つまり家に住む主人公は、ばらばらの個性を持つ生き物だという基本を忘れていたことへの反省であった。いまプレハブメーカーの中には、○○研究所という部門を持つところが多いが、それはこの時期に生まれたものである。私はハウス55プロジェクトの委貝長を四年間務めたので、この件については特に深い思い出がある。