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日本の木はかくも強く美しい
なぜ日本の木が使われないの?
●材価と木の家づくりは高くない
次に木材の価格は高いのかという問題です。
この点については何度か書いていますが、結論は、高いようで高くないということ
です。
木材の丸太の価格は、一般材、柱適材は20年前と同じです。戦後、値段が上がっ
てないのは木材と卵だと言われているように、賃金や物価の著しい上昇にもかかわら
ず、木材の価格は少しも上がっていないのです。
それにもかかわらず「高い」と言われるのですが、ここには2つの問題があります
1つは、何を基準に高いと言うかという問題です。
地中に眠っていたものを掘り出した原料を加工して量産した工業製品とは、単純に
価格だけで比較すべきではありません。数十年から百数十年もの年月をかけて育て、
その上で数工程の加工を経て製品化された木材は、大量生産の規格工業製品と同じ土
壌で競うべきものではないはずです。
しかも、木材が持っている温湿度の調整、吸音性や紫外線の吸収、断熱性、触感・
視感から得られる安らぎや潤い、電磁波やプラスイオンの吸収とマイナスイオンの放
散、"ゆらぎ"による癒し等などの優れた特性と長い耐久性などのすべてを含む価値
を基準にしたならば、鉱物資源や化石燃料を原料とした製品とは決して比較できるも
のではないはずです。
とは言え、建築費の枠内でのことですから、いくら高くても良いと言ってるのでは
ありませんし、実際にもそれほど高いわけでもありません。
木材業界は個別単価よりも立方mで柱などの価格をいうことが多いので高く感じて
しまうという面があります。柱3m×12m角の柱ならば、立方m当たり約23本です
から1本単価は流通を経由しても杉材ならば5千円にならないはずです。
それに1軒当たりの木材費用は、プレハブ系ならば総費用の3%程度ですし、木造
住宅と言えども相当量の木材を使っても25%程度、普通に使えば10~15%程度
にしかならないのです。
以上を見れば、高いように思われている割に高くないことが分かるはずです。
もう1つ高いと言われるのは、流通の問題が絡んでいることです。
流通は、生産者と消費者をつなぐ役割をもっており、必要不可欠な存在ですが、木
材の流通には複雑すぎるものがあります。流通過程が多いほど最終コストが高くつく
ことになります。また、一部には、相手を見て値をつけたり、儲け主義に流れたりす
る傾向があります。
これらが絡んで高いと言われる面もあるようですが、最大の問題は、業者間の取引
を経て大手メーカーへ売る仕組みが長く主になっていたために、一般の建築関係者と
の断絶をつくり、価格を不透明にしたことです。
問屋を通して工務店に売るものも増えていますが、メーカーから出される建材の場
合は価格も示されていますが。ところが、木材は価格の表示がないために、流通の過
程で一気に高くなるという傾向も一部に見られます。
これらの全体から言えることは、木材も木の家もその価値から見て決して高くはな
いし、相対的にも思われているほど高くはないといえます。しかし、流通を含めて一
般の建築関係者への供給体制を整備し、価格を明確にすることが急がれます。
但し木材は工業製品ではなく、1本1本が違う生きた素材から作られますから、価
格にある程度のばらつきが出ることは認めなければならない点です。
●21世紀は国産材の時代
このように、木材について問題とされている点を質してみれば、結局のところは木
材を使わせないためのものが圧倒的に多いことがわかります。
同時に、それに対して何の積極的な反論もせず、対策もしなかった林業・木材業の
怠慢が見えてきます。
木材業界や学研が、これらの木材攻撃に対して対処したことは、集成材をはじめと
するエンジニアードウッドで攻撃の矛先を躱そうとしたことぐらいでした。このこと
がまた国産材対策を先送りする要因にもなったことも付言しておかなければなりませ
ん。
そこでこれからのことを考えなければなりません。
結論から言えば、21世紀は国産材の時代にしなければなりません。そうならざる
を得ないと言えることです。
それは第1に、国産材の活用なくして木の家づくりの広がりはあり得ず、木の家づ
くりの広がりなくして日本の山を育てることはできないからです。
木の家づくりの広がりが、日本の文化を再興する大きな柱のひとつであることは、
繰り返し考えてきたことで、21世紀の家づくりの本流となる方向へ向かいはじめて
います。
それを現実のものにする条件が、地域の家づくりへの木材の安定供給で、その中心
に据えられるべきが国産材です。
大手メーカー向けを主とした仕様にとどまらず、一般の家づくりに求められる木材
の供給の仕組みをつくることでこそ木材業の新しい活路が拡けます。
国産材の需要の広がりは、自ずと日本の林業を励まし、元気づけることになり、山
を育てる前提をつくることになります。山村と中山間地域の活性化が、日本の地力を
つける大きな役割を担うことになります。
また、山の事情から考えても、これから主伐期に向かう人工林を生かし、伐採後の山
を針葉樹の植林だけでなく計画的な再生をはかることで自然を育て、環境を整えるこ
とにつながります。
木の文化と和のこころの復興から、自然の循環のサイクル復元までのすべての面で
の問題の糸口が、国産材を使った木の家づくりの広がりにあるのです。
第2に言えることは、21世紀のこれからは地域コミュニティ化が進み、自給自足
化へ向かうことが必至とされていることです。
現実に数々の矛盾を膨らませている農業や林業、エネルギーをはじめとする多くの
問題は、グローバル化のかけ声の下ですすんだものです。グローバル化は、多国籍企
業の支配の強化をめざしたもので、それが日本だけでなく、世界的な地域産業の破壊
環境破壊の原因となっています。
今後さらに異常気象の激化、食糧不足、エネルギー危機、人口問題が進展すれば、
否応なしに自給自足化へ向かい、コミュニティ化を考えざるを得なくなります。
それに、食糧はもちろん、建築材料にしても地元の水と気候風土の下で育ったもの
ほど強く、健康に良いことは言わずもがのことですから、丈夫で長持ちし、心と身体
に良い家ををつくる上でも、地元を中心にした国産材を積極的に使うことが不可欠で
す。
第3に、人々の意識が、自然を大切にし、自然に親しもう、木を使おう、木の家に
住みたいというところへ変化を強めてきていることです。
このことは、日本の山と自然を大切にして育てようということですし、日本の木を
使おうということにつながるものです。
●杉・桧は世界に誇る日本の木
日本の木の文化が"白木の文化"と言われることがあります。
元々の日本の山は常緑と落葉の広葉樹に覆われた山でした。
地球上では2~3億年前に、植物のもっとも進化したものとして針葉樹が誕生し、
究極の植物としての広葉樹が誕生したのが1~1.5億年前とされています。葉を落
として土をつくり、花を咲かせて実をつける広葉樹が人間の誕生を準備したのです。
大陸から離れて島国となった日本の山は大古の時代には針葉樹が育っていましたが
、温暖化とともに広葉樹が北上し、縄文早期には広葉樹に覆われ、再び現れた針葉樹
が、縄文時代後期の杉でした。
縄文後期には、農耕も始まっていましたし、人口の増加もあり、広葉樹の森の減少
が始まったために、陽樹の代表格である杉が出てきたものと思われます。
広葉樹林の減少とともに針葉樹が本格的に台頭してきたのが弥生時代で、杉、桧、
モミ、ツガ、マキなどが広葉樹と混生しながら量を増やし、建築用材の主流になりま
した。
これが白木の文化の基になったのであり、それ以来一貫して杉を中心とする針葉樹
が家づくりの材料となってきました。
日本人の情緒を考えると、外の自然の移ろいへの同化とともに、杉・桧の材面に持
つ感触や色合いがそれを育てる大きな要素となっています。
おだやかな暖色を材面に持つ杉・桧には、トゲトゲしさはなく、やわらかく包み込
み、あたたかく和の心を育てる力があります。桧よりも木目の確かな杉には、視覚を
通して与えられる"ゆらぎ"の作用で、脳幹に共鳴共振し、自律神経の働きを活発に
することで治癒力を高めてくれます。いろいろある樹種の中で、何の違和感も抵抗感
もなく、ごく自然に受け入れ、寄り添えるのが杉や桧だと言えるでしょう。
白木の文化とは言いますが、それは、杉や桧を主とするあたたか味のある木肌を指
してしるのです。木の文化の根っ子には、上古代からの広葉樹の森の面影を残しなが
ら、針葉樹の木肌の中でおだやかなこころを育て、情緒を育み、文化を培ってきたと
言えるでしょう。
建築用材としての杉・桧をはじめとする国産材は、情緒を育て、文化を興こす上で
も大切な役割を担うことになります。
杉がやわらかいという批判へのひとつの答えとして、違う角度からの例をあげます
ある小学校が木造校舎に改築し、床に杉のムク板を使いました。一般には、このよ
うな使い方に対して、やわらかくて傷がつくという批判があるのですが、まったく違
う結果が得られています。傷がつきやすいかもしれない杉板だからでしょうか、子供
達が床にやさしく接するようになり、ケンカやイジメがなくなって、思いやりをもつ
ようになったということを聞きました。
信じられない人もいるかもしれませんが、これは直接この学校の校長先生から聞い
たことですから、偽りはないはずです。
これと同じように、ここ2~3年、建築家が杉板を床などに使った家づくりをして
いますが、その住み人からも子供の変化として聞いた例もあります。
硬ければ乱暴に接する床でも、やわらかければやさしく接するようになるのが、森
の民であり、永年にわたり素足で木の床と触れていた日本人のの本性を蘇らせること
になることを教えてくれています。
床が硬ければならないという前提は、土足で床を踏む狩猟民族の性なのだというこ
とも知らなければならないことです。
しかし、やわらかいけれども、決して弱いのではなく、床としての剛性を持ってい
ることは田原さんが実証してくれています。
材面は多少やわらかいけれどもしっかり強く、日本らしいこころを育ててくれるの
が杉であり、国産材だといえるでしょう。
世界には日本の杉と同じ杉はありません。杉は世界に誇る日本の木であり、桧とと
もに日本を代表する木なのです。
行政や建築界の一部やハウスメーカーなどが、よってたかって国産材、杉材を使わ
せないための仕掛けをつくったり、攻撃したりしていますが、その口車に乗って杉を
敬遠するのではなく、触れてみて、使ってみてこそ語る資格が出てくるのです。そし
て、よりよい使い方を考えれば、いくらでも用途が広がるはずです。
私たちの先人が、何千年にわたって使いこなしてきた杉をはじめとする国産材を、
現代の日本人が何故使わないのかということこそが問われているのです。
杉の復権と活用なくして、林業・木材・地場産業の復興はありませんし、木の家づ
くりは本流にはなれず、新しい木の文化を築くことはできないことを考え、国産材の
時代に向けての大いなるうねりをつくりたいものです。
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