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山を育て木の家をつくる

日本らしさを取り戻し 木の家づくりを広げよう

山を育て木の家をつくる

●木の家づくりを本流にする力は何か 「木の家づくりを21世紀の本流に」と本誌は呼びかけ続けてきました。
第9号特集Ⅰでは「21世紀へ木の家づくりの輪を広げよう」を掲げ、「なぜ木の家づくりが21世紀の本流か」と「木の家づくりを本流に広げるために」を考えました。
しかし、現実の問題としては、木の家づくりが大きな本流になるにはいくつもの障壁があるようです。
そこで、本稿では木の家づくりがなぜ本流かという問題とともに、それを本流に押し広げて行くためには何が必要なのかを根本から考えてみたいと思います。
木の家づくりは、決して自然に広がるものではないのです。
木の家づくりをスロ-ガンとして叫ぶだけでは動きにはなりません。
木の家づくりの持っている意味の本質とその素晴らしさについて建築に携わる人たちが確信を持ち、力強く木の家づくりを推進し、地域の人々にPRすることです。
そしてもうひとつが、木の家づくりの主体として最も立ち遅れている林業・木材業の人たちが、木の家づくりを本流にすべき意味をしっかり理解し、建築に携わる人たちや生活者に視点を当てた材料づくりと供給システムを作り、家づくりの主体の一員としての行動に参画することです。
このふたつの力が育ち、その相互協力関係がつくられない限り、木の家づくりが本流にはなれないのです。
また、そうしない限り、人々は、木の家を求め切れず、宣伝と営業力に押し切られたり、展示場であこがれを膨らまさせられたりして、メ-カ-の住宅を「買う」ことになり続けるのです。
家は「買う」ものではなくて、建てたい人と建てる人と材料を出す人とが一体となって「つくる」もの「建てる」ものであることを、日本中の人々の意識の中に思い起こさずには、いくつもの障壁を乗り越えることもできないと思っています。
●日本らしさを奪った近代文明 木の家づくりが押し除けられ、陰を薄くしたのは、誰もが考えている以上に大きな背景があることについては、折に触れて書いてきました。
その根本にあったのは、近代思想、西洋文明で日本を支配し、洗脳し、資本主義的繁栄とメジャ-を中心にした国際金融財閥の資本の集積を図るためでした。
そのために住まいに関する面では、洋風住宅を煽り、ハウスメ-カ-の育成、林業・木材業の衰退化と大工・工務店へのしめつけ、建築界の洋風化への誘導、木造住宅の排斥と洋風住宅讃美の世論づくり、木材の輸入化などを巧みに関連させ合いながらすすめられてきました。
近代の西洋文明による思考回路につくり変えるために、住まいの分野だけをみても、これほど大がかりな仕掛けがつくられて押しすすめられ、それを良しとして受け入れるように洗脳されてきたということは驚くべきことです。
この結果、健康を破壊する家がどんどん作られ、粗悪な材料でつくられ25~6年の耐用しかなく、一生ロ-ンに追い続けられる現実があります。
材料の生産が環境を悪化させるだけでなく、土に還らない廃棄物からの環境汚染と処理が今後ますます深刻になってきます。
近代文明の発展と同時に生み出された矛盾は、住宅関連はそのほんの一部でしかありません。
社会中のあらゆる分野に広がる矛盾によって、社会の弊害と環境の危機は取り返しがつかないところにまできています。
この極限の矛盾を放置しておくことは地球の破滅、人類の破滅につながるのですから、その打開と改善は急を要します。
ところが、このような矛盾を生んだ近代文明の思考方法では、その解決は不可能なのですから、それに代る新しい思考、より高い新しい価値観、新しい文化づくりが必要になっていることは、誰の目にも明らかになっています。
言わんや、今日の矛盾づくりを推進してきた政治や行政に頼ることが出来ないのは当り前で、昨今の政治と行政の混乱と腐敗ぶりを見ればなおのことです。
こういう事態に至っている今だからこそ、隠された歴史の真相を明かし、新しい仕組みづくりをしなければなりません。
今は、それを言うべき時ですし、時代がそれを必要としているのだと思います。
明治維新以降に取り入れた近代文明は、封建性からの脱皮と日本の発展のために必要だったのかもしれません。
しかし、戦後の歴史は、日本自身の要求から西洋文明を受け入れたのではなく、世界支配をもくろむ資本と資本の代弁人が、彼等の支配のために近代思想・西洋文明を持ちこんだものです。
物質的・物理的支配と思想支配を抱き合わせにして日本の政治、文化、経済、科学、教育、マスコミのあらゆる分野での近代の仕組みと思考に変質させてきたのです。
この流れの中で、あらゆる日本らしさ、日本的なものの封殺や排斥がすすめられてきました。
衣食住や芸術・文化・科学の洋風化・近代化、日本のこころを代表する天皇制への反対論。
この雨や嵐の大攻勢に対し、元来、敵慨心を持たず、和合することを旨とする日本人は、何らの抵抗を見せることなく受け入れ、結果として服従してしまったのです。
しかも、保守的とされる支配勢力による権力的・行政的支配と教育による思想攻撃がありました。
そしてもう一方で、進歩的と称する「革新」勢力による近代思想での宣伝・煽動というふたつの勢力が、同じ目標に向って手を変え、品を変えて近代思想・西洋文明を浸透させてきました。
その結果、上手に洗脳され、近代思想に何の疑問も持たない人が圧倒的に多くなったのです。
その人たちを含め、いま日本の多くの人たちが、現実に何かしらの矛盾や憤り、空しさを感じ、先行きの不透明感にもどかしさを感じているのではないでしょうか。
●アイディンティティを確立しよう 木の家づくりが、大きなうねりへとすすんで行くためには、何よりも、一人ひとりが日本らしさにめざめ、民族性を取り戻すことが必要になっています。
なぜならば、日本らしさが忘れられ、日本の良さが見えずには、日本の民族性を取り戻すことや、日本らしい文化を復興することはできないのです。

木の家は、日本の文化そのものであり、日本のこころを姿にしているものです。
ここで考えるべきことは、近代思想、西洋文明の下で、日本らしさが失わされたという問題です。


近代思想は、日本だけでなく、その支配下の国々で、何の新しい価値観も創造することはありませんでした。
人生や民族の未来を語り合い、目標を持つこともできず、目先の出来事への対処と自己の利益、エゴ的欲望の追求に視野を奪われてきたとも言えるのではないでしょうか。
数万年の長きにわたり、営々と受け継いできた民族性や、明治維新の志士たちのように国づくりの理想に燃えた熱い心、軍部の大問題はあったにしろ日本のためにと信じ、命を賭して散った若い血潮などは、いまは見るべくもありません。
多くの人が虚無的、刹那的、自己中心的、排他的になってしまい、社会の中での自分の存在価値や存在意義、そして人生の目的を語れないのが現実です。
日本らしさが失われると同時に、自分らしさを考えなくなっていると言うべき状態。
これこそが、近代思想と近代教育が意図し、追求してきた姿だということを知らなければなりません。
●「らしさ」はアイディンティティ「らしさ」という言葉を置きかえると「アイディンティティ」です。
アイディンティティとは「人格における存在の証明または同一性」「自己の存在証明。
自己同一性」「ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められていること」とされています。
「らしさ」というだけでは曖昧に聞こえますので「アイディンティティ」と言い、その内容を記したのですが、近代社会の思考というのは、このアイディンティティを社会全体からも、個々人からも奪ってしまったのです。
ですから、日本らしさを取り戻すということは、同時に一人ひとりの「自分らしさ」を確立する、「アイディンティティ」を確立するということと相互関係を持っていると言えます。
21世紀を素晴らしい時代にすることは、まさしく日本と個々人の「らしさ」「アイディンティティ」を確立することなしにはすすまないのです。
本誌第12号特集Ⅰその(1)「日本の民族特性の根源を探る」の中で、鳥居礼さんの「知られざる日本の古代史」から「日本のアイディンティティ(同時性、本質)とは何か、日本のすばらしさを知ろうとするとき、まずはじめにやるべきことは、身につけている外来文化を、すべて脱ぎ捨ててしまうことだ。
そうすればほんとうの日本が見えてくる」という一説を紹介しています。
一人ひとりが自分の「アイディンティティ」に目ざめ、高めるためにもまた、外来文化と西洋思想で塗りつぶされている思考形態と思考回路を解放することからはじめなければならないと言えるのです。
西洋合理主義による常識や価値観、損得勘定、自己中心主義から一度自分を解き放ち、もう少し高い次元で自分を見つめ、自分に問いかけてみるべき時に来ているようです。
アイデンティティを高めるためには、自分はどんな人間で、どんな存在なのか、自分の価値はどこにあるのか、自分の人生の目標は何か(または、人生の目標をどこに置くのか)、どんな自分を目指すのか。
ということを考えることだと思います。
このことが、自分らしさをつくる、アイディンティティをつくることになるのです。
一人ひとりがアイディンティティを確立することで、その人の人生を、目的のある意味深いものにすることになります。
アイデンティティを確立することでその人の存在感が生まれ,社会的に自立できるようになります。
社会的に自立することによって自分が所属する組織や団体、つまり家庭や会社や国家との関係性が明確になり、帰属意識が生まれ,自己の存在を確認することができるようになるからです。
そのことが、全体として日本のアイディンティティを取り返すことにつながって行くのです。
でも、そんな問いかけに、「そんなことを急に言われてもわからない」「考えたこともない」「どう考えたら良いかわからない」という声が聞こえてきそうです。
それは当然かもしれません。
そういう思考回路が封じられていたのですから、ある意味では仕方がないことでしょう。
本誌では、これまで、自然と木と人間、日本の文化と民族性、人間とは、などをいっしょに考えてきました。
そして、地球という星が特別の星であり、究極の生き物として誕生した人間は、他の動物たちとは決定的に違うことも考えてきました。
話せる、働ける(つくれる)、考えられる、アタマが良くなる、知性と理性がある、悟れるということにあることを、船井総合研究所会長の船井幸雄さんは「人間のあり方」その他の著書で書いています。
至極当り前のことなのですが、このことに意識が働いていない人が多く、それが人間の特性、長所であるとの認識も少ないようです。
人間の特性から考えると、人間という存在の地球上での特別性が見えてきます。
決して何かの偶然で人間が生まれたり、他の動物が進化して人間になったということではなく、サムシング・グレ-トとも呼ばれている宇宙の大いなる存在が、大きな意味を持って人間を生んだと考えられるのです。
人間という存在そのものが意味ある存在である上に、一人ひとりは顔つきからはじまる個性があり、あらゆる面で独特な存在で、同一人間はいないのです。
それは、一人ひとりの特性として表われるように、本来の一人ひとりはその人だけの存在の意味があると考えられるのです。
「自分を大事にする」とか「自分の人生を大切にし、意義あるものにする」というのは、その人固有のものがあることを示しています。
その固有性・特性は、その人の長所に表われており、その人の人生の歩みの過程にその人の役割が示されているとも船井さんは言っています。
「アイディンティティ」を確立する「自分らしくある」というのは、過去の人生を意味あるものと受け止め、自分の長所を生かし、伸ばすところからはじまると言っていいようです。
自分の存在価値や存在の意義がそこから見え、自分の目的や理想がつかめるようになるのではないでしょうか。
「らしさ」の関係から、自己の存在を見定めることについて書きましたが、21世紀を迎えた今年は、自分の存在と未来への夢と希望を持てる年にする絶好の機会でもあると考えています。
時代そのものが大変革期にあり、価値観の転換がすすんでいる時にこそ、自己の確立が思いのほか早くできるようですし、時代がそれを求めているのだと思います。

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