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「和」と「愛」を基底にする日本の民族性
住まいの文化は民族の誇り
民族性がつくる住まいの文化
○民族性こそ日本の誇り
それでも20世紀のままではいけないというのは、すでに多くの人びとの共通認識にな
りつつあるのですから、来るべき時代の方向性が、日本らしさ、和のこころ、和の文化を
復興し、20世紀の発展の上にそれを花咲かすところにあります。
ですから今、そういう意
識を広げ、行動をおこすことこそが大切になっています。
そのためにこそ求められているのが、日本の民族性に誇りと確信を持つことであり、日
本という素晴らしい国に誇りを持つことではないでしょうか。
「和」と「愛」を根底にした素晴らしい民族性についてはすでに書いてきましたが、30
万年もにわたってこのような民族性、文化を培ってこられたのは何故なのかも知らなけれ
ばなりません。
その最も大きな理由は、日本が島国で自然豊かな国だったことにあります。
島国根性などというのは、完全に西洋化しない日本人への不満を表したものでしかあり
ません。
島国であったが故に、他民族からの襲撃を恐れることなく、国も集落も各家も戦闘体制
を必要とせず(部分的には蒙古襲来などはありますが)、安心で安全な国でした。
しかも富士山に代表される美しい山々があり、樹木が繁り、澄んだ水が豊かに流れ、
四季の彩りがありました。
こうした諸条件が日本らしさを育て続けることのできた理由にあるのです。
先に「奇跡の国・日本」と書きましたが、地球上の他の国々と比べると、これを奇跡と
呼ぶ以外にはないのです。
しかし、これも本当は偶然とか奇跡などではなく、大いなる存
在、宇宙の意志ではなかろうかとも思えるのですが、アインシュタインは、そんな日本を
見たからこそ、「予言のメッセージ」を残したのです。
本誌第12号で紹介したように、
日本訪問から帰ったアインシュタインが21世紀の「世界を導く者」と日本のことを言っ
ているのです。
今こそ私たちが、早く日本に誇りを持ち、日本らしさを自らの中につくっていかなけれ
ばならない時に来ているのです。
●民族性が生きる住まいづくり
ここまで、日本の民族性についてを主に考察してきました。
繰り返しますが、民族性というのは、決して遅れた文化を言うのではありません。
民族
の歴史の底流に脈々と流れ、生き続けているものです。
民族と民族性こそが誇りであることを忘れた時から歴史は歪み、悲劇が始まるのだとい
っていいのではないでしょうか。
今でも、世界各地に、他民族の支配に屈することなく暮らしている民族は数多くいます
が、それらの民族を見ると、西洋かぶれや近代化を決して素晴らしいとは考えずに、民族
の伝統を守り、誇っている姿に接します。
現地ルポやドキュメンタリー、〝世界ウルルン滞在記〟などを見ると、なぜかしらみな
特に日本に好意的で、心を開いて日本人を迎えてくれていることが感じ取れます。
それは
、日本らしさが伝わるからかもしれませんし、その昔々の日本民族の起源の頃の仲間だっ
たからかもしれないと思わずにはおれません。
ところで、ここから住まいの文化について考えてみます。
住まいと住まいの文化というのは、間違いなく民族性と表裏一体のものです。
地理・地形、気候・風土などの自然環境や自然条件、資源と土と水などが住まいづくり
を方向づける要素となるものですが、それはまた、民族性をつくる要素でもあるからです。
これにもうひとつ宗教観が加わるにしても、住まいづくりの原点は、民族固有のもので
す。
民族性が反映されない住まいづくりは有り得ないと言っていいようです。
○前提にある自然との共生
そこで日本の住まいを見ると、本誌でたびたび触れたように、自然との共生が大前提に
ありました。
材料はその土地にある自然の素材を生かし、開けっ広げで自然を取り容れています。
太
陽の光りを上手に取り入れ、日射しも生かしています。
風の通りには心を配り、決して遮
断したりはしていません。
住まいと外の自然とを一体化して溶け込み、外から見れば自然の調和を壊さず、内から見
れば、自然の中に住むという姿があります。
自然と一体となった暮らしをしているからこ
そ、日本民族は季節の変化に敏感ですし、対応しながら順応するのも上手です。
日本人の感性
は五感のすべてで自然を感じ取れるところから生まれてきます。
欧米人が聞き取れなかったり
、雑音としてしか聞けない虫の音や葉音などを情緒的に聞けるのは日本人の特性のひとつです
。
花が咲き散る風情や木の葉の舞に心を寄せるのも、ものの「あわれ」を感ずる日本人の特性
です。
日本の住まいの歴史を見ると、いつの時代でも家の中から自然を感じ取り、自然を眺めるよ
うになっています。
外の自然を絵画的に眺められるような障子や丸窓を設けて、風景を拝借す
るという贅沢さえする借景の思想もいかにも日本的です。
それでももの足らなくなると敷地に
庭園をつくり、縁側をつくっています。
限りなく自然に近づこうとするその先に濡れ縁をつく
り、さらに月見台までつくり、自然とつながろうとしました。
このような住まいのつくり方と住まい方の中から文化がつくられてきたのです。
住まいづくりそのものが文化でありながら、それがまた和の文化を生み、育てる母体とも
なっていたのです。
自然を愛し、自然と親しみ、自然を大切にするというこころが、和の文化の根っ子にあ
ります。
○自然に従い、自然と一体化
この自然と一体化する思想をさらに強く表しているのが〝柱立て〟の思想です。
その昔
は大地に穴を掘り、そこに柱を埋めて立てるつぼ穴方式がとられていました。
しっかりと
大地に根付かせて、その柱を中心に組みあげるというものです。
やがて今度は石を敷くようになります。
柱を立てる場所をしっかり固め、近辺の玉石を
埋め、その上に柱を立てるというようになりました。
礎石を間に挟むことで、立てた柱を
しっかり補強するために、木組みが重視されるようになりますが、大地に根付く思想が変
わるものではありませんでした。
もうひとつ加えておくことは、自然と親和し、一体化する思想と自然の力に対する考え方
との関係です。
昔は、人間が地球を傷めつけ、破壊するということはそんなにありませんでしたから、
今のような激しい地震や風水害にひっきりなしに襲われることはなかったようですが、そ
れでも自然の猛威はあったのですから、その対処法は考えられていました。
それは、今のように力で対決して打ち勝とうとするような敵対的なものではありません
でした。
自然の力をしなやかに受け流すという考えが基本にありました。
木組みと土壁自体はしっかりした力を持っていますが、構造全体を通して自然の力をあ
る程度までは受け止め、それ以上の力は分散させて逃し、支え切れない力(地震で言えば
震度6~7以上と言われています)には、家を壊して人間を守るという考え方でした。
あくまでも抵抗する建物は、どこに限界点を設けるのか、それを想定させるような災害
の可能性はあるのか等を考えると、いかに無駄が多いかがわかります。
昔からの日本民族
はほどほどのところで自然の力を認め、自然の裁きに従うという姿勢をとっていたのです。
それでも、きちんとした伝統的な造り方をすれば、数百年の寿命を持っているのですか
ら、いかに現代の建築思想が歪んでいるかがわかります。
それは、自然を人間が支配できるという思い上がって、自然と対決しようとする西洋思
想に侵されていることと、商業主義・金儲主義で、程度の悪い材料や細い材料を使い、見
えない所は手抜きをする。
カッコ良さだけを追って構造の勉強をしていないことなどに見
ることができます。
まして、造りそのものが自然を遮断することで、自然のエネルギー
さえも拒絶している上に、使われている材料自体が、化学的に作り出された有害なもので
あっては、もうこれは住まいと呼べるものではなくなってしまいます。
○民族の誇りを掲げて木の家づくりを
日本の民族的伝統を受け継ぐ住まいは、民族性をそのまま反映し、住まいづくりの理念
と住まい方、そして人間の生き方のすべてにおいて、自然と一体になるという思想に貫か
れていることに最大の特徴があると考えられるのです。
なお、伝統的な民家の系譜については、本号特集Ⅲの大沢匠さんの「民家フォーラム2
00」のレポートでの安藤さんの基調講演も参照して下さい。
最後に、民族性こそが誇りであり、自然と一体化した住まい方をできる住まい、大地に
根付いた木の家で、自然と共生した民族性が生きる伝統的な住まいが日本の誇りであるこ
とを改めて確認しようではありませんか。
そして、21世紀をつくるのは、西洋合理主義ではなく、日本らしさ、和のこころ、和
の文化であること、和の文化の柱のひとつである木の家づくりこそが21世紀の本流にな
り得るものであること、木の家づくりの広がりが中山村間から始まる日本の産業の再興に
つながるという確信を持って21世紀を迎えてほしいと願っています。
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