内装に映えるスライスウッド(ツキ板)の妙
スライスウッドとはどんなもの?
●日本人の感性がつくったスライスウッド
以上の歴史を見てわかるのは、その始まりからして、木目の美しさを引き出した
表面化粧材としての役割であったことです。
1本の丸太から作られるスライスウッドは丸太の太さによりますが、板目で千枚
以上、柾目で2000枚以上ですから、微妙に変わりながらも連続した同じような化粧
材がいかに多く作られるかがわかります。
木は生きもので、自然が育てるものですから、同色同柄の自然の木を求めても入
手することは不可能に近いことは知られている通りです。
同時にムク板にしても同
じ柄を求めても入手することはできないものですが、薄くスライスすることで、ほ
ぼ似た柄の表面材を大量につくれるところにこそスライスウッドの価値があります
。
ムク板はムク板の価値があるのですが、最も違う点は表面化粧材としての意匠性
を求めることにあります。
このような意味を持つスライスウッドをつくるのですから、その材料となる原木
には一定の条件が求められます。
特殊なコブ杢や短尺用は別にして、求められる材は、①径級が太いこと(少なくと
も50m以上が求められます)、②2~4m以上の通直材が得られること、③色艶が良い
こと、④木目が素直であること、⑤杢模様が良いこと、⑥節やくされなどがないこ
となどが最低の条件となります。
もちろん、丸太を見てそれらのすべてがわかるものではありませんから、それは、
木を読む力、木との対話がありますし、1本の丸太をどのように木取りして加工する
のかを判断して買うことになります。
欧米のスライスウッドは、0.6㎜以上の比較的厚いもので、木目や色艶をそれほど
問うことなく、木取りもほぼ一定で、無雑作にスライスするのが普通ですが、日本
の場合は、かなり違います。
一本ごとの木取りにまず勘と経験が必要となります。
板目取りにするのか柾目取
りにするのか、またはロータリーにするのか、ハーフロータリーにするのかなどに
よって木取りが変わります。
次はそれを0.18㎜から0.6~0.1㎜のどの厚さにするの
かという木理の読みと、均一に切れ味良く仕上げるという技術が必要になります。
なぜ、日本のスライスウッドはそこまでこだわるのかということについては、一
口で言えば、それは、日本人の感性の高さと技術力によると言えるものです。
日本人の感性は欧米人とは全く異っています。
日本人の感性の根本にあるのは、
森の民族として森林・自然と共生し、自然の恵みに感謝した暮らしから生まれてい
ます。
自然と会話する、自然を愛でる、自然を読(詠)む、自然に従うというのが
森の民の姿です。
そこから、なるべく自然の造形を生かす、自然の持つ美しさとエネルギーを表現
する、自然を詩的に歌う(和歌)という芸術性を備えた感性を養ってきたことにあり
ます。
ここにも、砂漠の民族の宗教観と思想で支配され、自然と敵対し、自然を征服す
ることで勝利者であろうとした欧米人の感性との違いが出てきます。
この高くて鋭い感性を持っての技術力が、精密、繊細、優雅さを呼ぶ基礎にあるの
です。
ですから、感性と技術によってつくられる日本のスライスウッドは、熟練した日
本人による余程の指導がない限り、海外で求めることはできないのです。
これは欧
米に対してはもちろん、良く似た森の民であるアジアの国々に対しても言えること
です。
この面から見れば、日本のスライスウッドを美しすぎるとか整いすぎると批判す
るのではなく、このスライスウッドが持っている銘木的価値、意匠的・芸術的価値
、高付加価値を日本人ならではのものと肯定し、生かせるところに生かすという視
点に立ってほしいと思います。
●スライスウッドが求めたものは〝1/fゆらぎ〟だった
スライスウッドが持っている最大の素晴らしさについて触れておきます。
木材が吸温吸湿、断熱、遮音性などの特性とマイナスイオンの放散や〝1/fゆ
らぎ〟の効力を持っていること、情緒や感性を育てる力があることについて本誌で
は随所で触れています。
その上でスライスウッドが持つ力は、木材一般に比べてはるかに〝1/fゆらぎ
〟の効果を持ち、癒しと感性を育てる力を発揮することにあります。
〝1/fゆらぎ〟については、本誌第4号の特集「癒しを育てる住まいづくりと
住まい方」のその(2)「自然界の〝ゆらぎ〟が生命を育てる」で、その基本を触れて
いますので、重複を避け、スライスウッドの〝ゆらぎ〟について見てみます。
〝ゆらぎ〟は一定の周期的(定期的、連続的)もしくは規律的なようなリズムの
間のズレのことです。
このズレが周波数とパワースペクトルの数値に変換して両対
数グラフ上に記した時に、どのように表わされるかで、〝ゆらぎ〟が分けられます。
周波数の増加に反比例するラインが1/fラインで、このライン付近に数値が集
中するものが〝1/fゆらぎ〟になっていると言います。
自然界と宇宙の存在のすべては〝ゆらぎ〟で成り立っており、その基本は1/fに
あり、この〝ゆらぎ〟が、自然と同調する人間の脳幹と共鳴共振することで、自律神
経がバランス良く働き、癒しを呼び、快感と活力を生んでくれます。
スライスウッドの良さは、色艶と木目にあると書きましたが、意識することもな
く追求したその美しさ、良さがめざしたものこそが〝1/fゆらぎ〟にありました。
これは、同じように〝ゆらぎ〟理論を知らなかった名曲の作者や書家、画家、手
芸家たちがつくりあげた傑作もまた〝1/fゆらぎ〟になっていたことと同じと言
えるでしょう。
見て、聞いて、触れてなど五感で良いと感じ、ひき込まれ、愛せるものというの
は、結局のところ〝1/fゆらぎ〟に近いものと言えるのです。
スライスウッドが求め続けた木目の味わいの追求は、より〝1/fゆらぎ〟への
接近であったと言えるようです。
一般的には、特に柾目で比較するとわかりやすいのですが、スライスウッドの柾
目は、より通直な木目で、規則正しく並ぶものを追い求めますが、絶対にコンピュ
ーターや機械で描いたような柾目のラインをつくることができません。
関係者は、
それを求めすぎる傾向が必要以上に強いのですが、機械的・コンピューター的にな
ればなるほど味わいがなくなります。
ズレの規模がゼロに近づくからで、それは、
ズレのゼロは無味乾燥で、何の感性も呼ぶことはないのです。
これがズレすぎる
と見にくい、聞き難いもの、つまり雑音や音痴のような見聞しがたいものに近づく
のです。
「ゆるまぬように、張りすぎぬように」と宮本武蔵が「五輪の書」の中で剣の極
意を語っているのも〝ゆらぎ〟の心で、良いズレの基本は、ほどよいところに集中
しているのですから、完璧や是否の決着というのは、自然界の望むところではないの
です。
木材は、例えランダムに削られても、年輪に〝ゆらぎ〟の基があるのですから、
材面の木目には必ず〝ゆらぎ〟が生きています。
その〝1/fゆらぎ〟を最も引き
出したものがスライスウッドと言って間違いではないのです。
スライスウッドは、意匠的な特性と〝ゆらぎ〟の効力、そして木肌の風合いなど
を併せ持つことで空間を演出し、和みと安らぎを醸し出し、情緒を育ててくれるの
です。