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日本の木はかくも強く美しい
なぜ日本の木が使われないの?
●蓄積量 38億5万立方mの国産材
日本は豊かな森の国、木の文化の国です。
山々が連なり、そこには木々が緑々と繁っています。森林面積は2千5百万ha以上で国土の67%にものぼり、38億立方mの木々が育ち、人工林材を中心に毎年8千万立方mずつ増加しています。
ところが、伐採されて使用されているのは年にわずか2千万立方m程度にすぎず、その4倍にもなる約8千万立方mを外国からの輸入に頼っています。日本で使われる木材の総量が年間約1億立方mですから、その内の国産材は20%強にしかならないのです。
木のない国ならばともかく、38億立方mの蓄積量は、世界でも多い方ですし、森林面積比での蓄積では世界の高位に位置しています。
また、森林面積の内、41%に当たる1千万haがスギ、ヒノキを中心にした人工林で、その蓄積量は全体の57%に当たる22億立方mにものぼります。
人工林の内訳では、まだ伐期に来ていない林齢30~45年生が多いのですが、これは主に戦後の人工林化政策での拡大造林によるもので、50年生以上の主伐期を迎えているものでも約4億立方mもあります。伐採されている用材となる針葉樹の大部分は人工林材で、その年間伐採量は1千7百万立方m以下ですから、いかに国産材の使用が少ないかが分かります。
人工林の場合は、枝打ちや間伐という保育作業が必要になりますが、林業家のアンケート集計では、約40%が間伐をしておらず、伐期に来た材の主伐をしてないものが60%を超えています。
その主な理由は、採算が合わない、労働力がない、資金がないというのが圧倒的です。
天然林は、木材の生産を主目的にした山ではありませんから、ある程度の手入れをしながら守られる山で、自然景観、生態系の維持、水資源の保全などの役割を果たしています。この天然林から採出されるのは、杉・桧・松などの天然木や広葉樹類で、その量は少量ですし、資源量の減少もあって年々減少しています。この中の代表的なものに天然秋田杉や木曽桧などの銘柄材、北海道のナラなどという広葉樹があります 天然林からの出材が減少せざるを得ない資源面から考えれば、いかに人工林材を育て、役立てるかを考えるしかないのです。
しかし、出材しても採算がとれない、労働力が不足しているということなどの理由で、人工林材、とりわけ杉材は生産することさえ難しい現状にあります。
●使われなくされた国産材の背景
日本の山には、人工林を中心に有り余るほどの木が育っているのに、出材することができず、間伐も思うようにできず、どんどん山が荒れてきています。
日本の木が、それほどまでに使われてないのはなぜかを考えなければなりません。
建築等に不向きなほど質が問題なのかと言えば、決してそんなことがないことは、誰もが知っているはずです。
杉・桧は世界に誇る日本の木です。社寺仏閣などで1千年以上の歴史を支えているのは杉・桧ですし、今も杉や桧がどんどん建築にも使われています。ところがそれ以上に外国産材や集成材などのエンジニアードウッドが使われています。
日本の杉・桧が高いのかと言えば、それほど高いわけではありません。最近、構造材として使われている北欧材などと比較すると高いように思われていますが、家1軒分で計算すれば、総額でせいぜい5万円程度、高くても10万円ほど高い程度で、米材と比べれば、杉材はほとんど変わりないくらいです。
最近問題にされていることから言えば、杉材は乾燥が難しいとか軟らかいということでしょうが、きちんと調べ、考えれば、これも問題にならないくらいです。本誌では、このことはもっとどんどん検証していきます。
では、なぜかがいよいよ問題です。
なぜこれほどまでに国産材が使われなくなったのかですが、答えは、使われなくなったのではなく、使われなくされたのだということにあります。
木を使わせないようにすることだけではなく、日本のあらゆる文化を抹殺し、人々から日本のこころを奪い去ることと、私的財産所有者や地場に根づく中小零細業者を没落させることに狙いがあったのです。
これは、これまでにも書いたように、異民族・西洋文明での支配のために、もっとも邪魔になるものが日本のこころ・和の文化だったからです。その日本らしさをもっとも根強く持っているのが農民や林家などの土地所有者や地場産業・文化の担い手たちでした。
この人々を没落させることで、資本にとって都合の良い安あがりの労働力を確保することも狙いとしてあったのです。
その一環として林家の没落、林業と木材業、家づくりを担う大工等の衰退が図られたのです。
それが、人工林化と外材輸入、木材と木の家への攻撃と排斥だったのです。
そこで、その内容に少し立ち入ってみます。
まず人工林化ですが、そこに至ることを正当化する事情として、戦争用材として大量の大径木を中心とする有用木材が伐採され、用材の減少がありました。それに、戦後復興の材料として木材を育てる必要性がありました。
これらの事情が巧みに利用されたのです。
こうした背景で昭和32年に打ち出された拡大造林政策の下で、国有林から始まり民有林へと人工植林が広がって人工林化が進んだのです。
戦後復興のために木を植えると言っても、当時異論が出なかったのかと不思議ですが、植林した木が、用材として成木になるには約60~80年、短くて50年必要ですから、その間は家づくりを待てというような話です。
それだけではなく、有用材も立っている山を丸坊主にしたのですから、その山からは5~60年間は木材を生産することができません。僅かの補助をもらっても生活しなければなりませんし、山を育てるためには下草刈りや枝打ち、間伐をしなければなりませんから、当然ながら経費がかかります。
結果論ではなく、人為的に木の家づくりの前提となる材料供給を遮断し、木の家づくりを遠ざけ、同時に林業経営を圧迫し、林業の荒廃と山林の疲弊化を呼び込んだことが見てとれます。
このようにして、国産材が、天然林からの大径材、良材・銘木を主にしたわずかの出材しか出来なくなるのを待ったかのようにして南洋材や米材のマツ、ツガを主とした外材の輸入が始められました。
輸入量は年々増加を続け、今では国内総需要量の80%を占めるまでになっています。しかも、当初は丸太での輸入でしたから、製材業をはじめとする木材業者も生きる術があったのですが、徐々に製材品、完成品へと輸入材が移行し、今では製材品、完成品の方がはるかに多く、それらが木材業界を経由せずに、直接ハウスメーカーをはじめとする大手メーカーに納入されるようになってきました。
そして、一方では木造住宅への批判と攻撃が行政と建築者、マスコミからどんどん流され、木と木造住宅を学ぶ場さえ奪われてきました。
この一連の動きを見れば、日本の林業が荒廃し、木材業が衰退し、木造住宅が減少した背景には、地場産業の破壊、私的財産所有者の没落、多国籍企業の進出、大企業育成という大きな政治的意図が働いていたことがわかります。
●意図的だった木材への批判
日本の木が使われなくなった背景は見た通りですが、この間に木材への批評と攻撃
が繰り広げられ、木について学ぶことも、接することも少なくなったのもまた木が使
われなくなった大きな原因となっています。
木材への攻撃と批判の主なものに、燃える、腐る、狂う、耐久性がなくて弱い、価
格が高い=木造住宅は高い、欲しいものが手に入らないなどというものがあります。
これらについて整理してみます。
第1に、燃えるということについてです。
木は繊維性の植物ですから燃えるのは当たり前のことです、燃えても灰になり、肥
料等として自然の循環に役立つのですから合理的な資材です。燃えないで塊になって
地球の廃棄物として処分できない鉄筋コンクリートや、燃えれば有害ガスを撒き散ら
して人を死に至らしめたり、高熱を発する化石燃料資材とは違う優れものです。
また、火災時における木材の燃焼については、構造材で見れば表面が1cm程度燃
えますが、燃えつきて崩れることはありません。これは、木材が炭素化合物を固定し
ているために、表面が炭化してしまうことで木材を守り、内部まで延焼させないから
で、建物の崩壊を防ぎます。
これに対して鉄やコンクリートは、燃えはしませんが熱に弱く、溶け曲がったり、
もろく崩れ落ちてしまいます。
アメリカのワールド・トレード・センターの崩壊は、直接の原因がテロであるにして
も、その火災による熱でエレベーター付近の柱の中核となる鉄筋が柔らかく溶けて床
が崩れ、下の階の床がその重みに耐えられなかったことによります。鉄は熱で溶け、
コンクリートは熱で弱くなることをまざまざと示しています。
また、化石燃料を使った内装材の燃焼による有毒ガスが人命を奪ってしまいます。
過日の歌舞伎町のビル火災では、ビルの崩壊には至りませんでしたが、有毒ガスによ
る多数の死者を出しています。
木材は、板類の場合は燃えて灰になり、自然に還りますが、角盤類は表面しか燃え
ず、被害を最小限に止どめるということになります。
第2に、腐るということについてです。
自然の生き物は、生命が尽きれば腐って自然に帰るのが本来の姿です。
木材が腐るという場合は2通りあります。ひとつは、寿命が尽きた時に風化したように脆くボロボロになって腐ります。この場合の木材の寿命は、社寺仏閣などの建築材や仏像その他を見てわかるように1千年以上と考えることができる長寿資材です。
もうひとつは、水分を多く含んでいる状態で使うとシロアリや腐朽菌が繁殖して腐る場合です。含水率20%以下にして使用することや、水気の多い所では使用しないというのが一般的な使い方ですが、高温多湿な日本の気候風土の湿気に耐えられる適材は、この気候風土に馴染んで育った日本の木が一番です。まだ歴史が浅い輸入材は、十分検証されていませんが、10年も経たずに腐っているものがかなり出ています 日本の木を使わせないようにとの意図を持っての木材攻撃の一方で、安価で、日本の湿度に耐えきれない外材の輸入を促進したことの矛盾を指摘しなければならないでしょう。
木材以上に腐朽の弱点を持っているのが鉄・コンクリートです。コンクリートは、空中の湿気を吸収しても排出するという呼吸機能を持っていませんので、腐蝕を早めますし、砂に含まれる塩分が溶けてコンクリートを熔解するだけでなく、鉄材を錆びつかせて腐蝕させることになります。
鉄やコンクリートを使わせるための、木材攻撃の「腐る」から建築材にはふさわしくないというのは、むしろ、鉄やコンクリートにこそ向けられるべきものです。 第3に狂うということについてです。
木材は、自然の傾斜地その他の立地条件、雪や風や太陽の当たり具合などの影響を受けながらも育とうとします。そこに成長応力(アテ)が生まれる原因があります。
これも自然の植物だからこその特質ですが、木が製材されて乾燥する過程でこの応力を解き放なして、自由な状態に戻ろうとすることで起きる現象が、反りなどの変形として現れる狂いと言われるものです。
この狂いを強制的に殺して使用すると後でトラブルが生ずることもありますので、良く乾燥させた状態で製材化することが大切になります。また燻煙熱処理などの方法で、丸太の段階で木材の細胞組織を軟化させ成長応力を緩和することもこれから進むのではないかと思われます。
狂うという批判は、この処置を考慮せずに木材を攻撃して使いにくいものとの印象を植えつけようとしたものです、同時に、十分乾燥させずにアテ処理も不十分なまま製品として市場に流していた木材業者の体質への批判という面も含まれています。
第四に弱い、耐久性がないという批判についてです。
弱いとか耐久性が劣るという批判は、何を基準にし、何と比較してのものかに問題があります。強度だけを取り上げ、木材よりも強度が勝ると思われるものと比較すべきではありません。
木材よりも強度の優れた材料があったとしても、建物に求められる強度を有しているかどうかが問われるのです。
鉄筋コンクリートのビルは50年を超えればスラムに近づきますが、木造の建築物は数百年、1千数百年を経てもまだ健在です。
弱いと言われる杉材についても、各種の強度試験や実際の使用でも、建築材としての必要強度を満たしていることが証明されています。
田原賢さん(田原建築設計事務所)の篠山市の屋外木造施設でのいくつもの構造材としての杉の活用などの実例が多くあります。最近の厚板せん断抵抗ダボ仕様による想定床倍率の試験でも、ホールダウン金物が先に破損し、桧板では想定床倍率6、杉板で4以上の結果を得て、高い強度を実証しています。(次稿に掲載)
また、京都大学の木質化学研究所の実験と研究によって、100年以上の檜は切られてから強度を強め200~250年後に強度がピークに達し、それからゆっくりと強度を下げて、約千年かけて切られた時の強度に戻るといってます。檜は切られてから元の強度に戻るまで1千数百年で、その他の樹種でも1000年前後と考えられています。元の強度から腐朽して寿命が尽きるまでには、さらに数十年から数百年ですから、本来の木の寿命(耐久性)がいかに強いかが分かるはずです。
何をもって弱いのかが問われるところで、要は使い方ということになるのです。横架材が弱いとも言いますが、それは鉄でも同じですからH型鋼やパイプなどの型にしているので、木材の形状や組み方を工夫すれば十分すぎる強度を得ることができるのです。
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