大阪木のなんでも相談室室長 佐道 健
●〈漢字で書くか、カタカナで書くか〉 ときに「今は木の名前はカタカナで書くことになっている」と主張する人もいます。
また「櫟と椚は違う木か」と尋ねる人や、「カエデを楓と書いたり、ツバキを椿と書くのは誤りで、楓は中国産のフウ、椿は同じく中国原産のチャンチンを指すのが正しい」という人がいます。
そこで、木の名前をどのように書けばよいかを考えてみましょう。
先ず、「カタカナか、漢字か」についてですが、現在では生物の名前はカタカナで書くことが多く、したがって木の名前を書くのに普通はカタカナを使います。
では漢字で書くのは間違っているかというと、別にそうと決まっているわけではありません。
私はカタカナで書く方が都合がよいからだと思っています。
いま日本で使われている常用漢字の中に、木の名前を表わす字は、桜、杉、松、桑など僅かだけです。
これでは日本だけでも百種類以上もある木の名前を、漢字で表わしようがありません。
といって、平仮名で書けば漢字仮名混じり文の中で、どの範囲が木の名前であるかは判断しにくく、その点カタカナで書けばどれが木の名前かがはっきりします。
常用漢字は「一般の社会生活で、現代の国語を書き表わす場合の漢字使用の目安」であって、これ以上の漢字の使用を否定している訳ではありませんので、書く人の考え方で、樫[かし]とか楢[なら]とかの漢字を使ったとしても別に差し支えないことです。
文字は「他の人に物事を伝える手段」ですので、できるだけ多くの人に物事や自分の考え方や伝えるためには、誰でもが分かる文字で伝える方がよいと思います。
私自身は木の名前を普通カタカナで書きますが、必要に応じて漢字を併せて使っています。
つぎに木の名前を表わす漢字のことですが、日本で木の名前を漢字で書くようになったのは飛鳥時代からでしょう。
その時代には各地で方言(呼び名の違い)はあったにせよ、当時の日本語(和名)で木の名前を呼んでいたことはいうまでもありません。
文字がなかった時代ですから木の名前は口伝えで伝わったはずです。
ところが、漢字が伝来した後は呼び方はそのままでも、文書に記するときには漢字を使います。
ここでいくつかの混乱が生じました。
日本語を漢字で表わす場合には、①万葉仮名のように漢字の読み(音)で表わす場合と、②漢字の意味で表わす二つの方法を使います。
ここで、①で表わす時には和名はそのまま伝わりますが、②の場合には書き方(漢字)だけが伝わり、読み方(和名)は伝わりません。
では和名を漢字に当てる場合にどのような方法を取ったでしょうか。
梅や茶のように樹木と名前が一緒に渡来したものは別として、漢字とともに実物または植物の標本が伝わったわけではありません。
おそらく木の名前は書物の記載や個人の知識として伝わったに違いありません。
中国にある木と同じものが日本にある場合にはそれほど問題がないのですが、もし同じものがない場合には、性質が似たもの、または書物の記載にあうものにその漢字を当てたことと思います。
したがって中国と日本では全く違う種類の木を同じ漢字で表わすことは十分にあり得ることです。
古代の木の名前を表わす漢字を知るには『和名抄』のような古代の辞書を見ることです。
『和名抄』は平安時代の中頃に編纂された本です。
原文は図のように漢文で、字の意味と読みが記してあります。
杉と檜についてみれば「杉 爾雅音義に云う、杉は松に似て、江南に生え、以て船材に為すべし。
和名は〈須木〉日本書紀、古事記にみえる。
俗に榲を用いるのは誤り」「檜 爾雅音義に云う、檜は柏葉で、松の身。
和名は〈非〉」となっています。
スギやヒノキは日本固有の木ですから、中国にはこれに当てはまる字はなかったはずです。
そこで『爾雅』のような古代中国の辞書の中で、日本のスギやヒノキに最も近い記述がある字(漢字)を選んで木の名前に当てたのでしょう。
したがって漢語での杉や檜が日本のスギやヒノキでなくて不思議ではありません。
なお中国語では杉木は日本でコウヨウザン(広葉杉)と呼ぶ木です。
また、最近中国から輸入量が増えている雲杉はトウヒ属の木、すなわちスプルースの一種です。
また檜はビャクシン(イブキ)のことを指します。
一方、中国では日本産の杉を柳杉、ヒノキを日本扁柏と書きます。
この頃、始めに書いた「櫟と椚」はどちらもクヌギですが、このほかに、櫪もクヌギです。
このように同じ呼び名の木について違った漢字を使う例はいくつかあります。
また逆に同じ漢字が違った木を記すために使われることがあります。
これは本来中国の木を表わすために使っていた漢字を日本の木に当てはめようとしたからです。
このように漢字の伝来が日本の木の名前を混乱させたといってよいでしょう この櫟は現在ではクヌギのことを指しますが、昔は〈いちひ〉と読んで、常緑のカシ類であるイチイガシのことを指していました。
表にいくつかの木の名前の漢字表現が時代によってどのように違ってくるかを示しております。
ツバキやカエデについてもかいておきましょう。
ツバキは『万葉集』では海石榴と椿の両方を使っています。
古くから椿がツバキを表わす漢字として定着していたのでしょう。
また楓は室町時代の辞書である『節用集』には〈かへで〉または〈もみぢ〉と記載されているので、その頃にはカエデを表わす言葉として定着していたようです。
なお江戸時代の本草書によると椿や楓が中国のものも違っており、誤った漢字の使い方であることを指摘しますが、同じ漢字を使っていても日本語と中国語とは違う言葉であると考えれば、納得できるでしょう。
なお、古代の木のエピソードや名前については拙著『雅びの木・古典に探る』(海青社)に書いてありますので、興味のある人は読んでください。
●〈木の名前をどう考える〉 ここまで書いてきたように、木の名前については問題になることはたくさんあります。
利用上から見ると、木の名前は必ずしも植物学的に厳密である必要はありません植物学上多少違った木材でも、同じような材質ならグループ名で呼ぶ方がよいことが多いようです。
また植物学上、同じ樹種でも産地などの違いで、利用上の性質が明らかに違う木材ならば、区別できるように別の名前で呼ぶ必要もあります。
ただ木材を利用する人や木製品の消費者にとって、木の名前は材質を判断する一つのよりどころですから、余り気ままに名前を付けて欲しくないものです。
実用的な意味で、設計や製造の規格や仕様に材料として木の名前が指定されている場合が多いので、どの範囲の材が許容されているのかをはっきりさせる必要があります。
このためには、何らかの形で材質や利用・用途を考え、また植物学的にも合理的な木材の名前と、これに含まれる樹種や許容できる材質の範囲を示すことが望ましいと考えています。
このガイドラインは適正な木材の利用と製品の正しい選択、それに公正な取引を行うためには、情報の送り手と受け手が同じ認識の上に立つことが必須の条件と考えるからです。