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住宅の洋風化はどうしてすすんだか
日本の文化破壊と住宅の洋風化
(1)日本に根づいてきた木の文化、木の住まい
私達のはるか祖先は森の民でした。
森の中で暮
らし、樹々の花や実、葉、根、そして山の幸、鳥
や動物を主に食していました。
農耕が始まるにつれて山懐、山の麓へと住まい
を移し木で住まいをつくり、土や草を上手に組み
合わせて、木をベースにした住まいの文化を育て
てきました。
温暖多湿で、四季が息づく日本の風土に似合っ
た日本の文化のひとつの柱として木の住まいがあ
ったのです。
その住まいは自然と共生し、その土
地の材料を生かし、地場の産業として受け継がれ、
時代とともに発展してきました。
ところが、この木の住まいと日本の文化はどこ
へ行ったのかと思わせるのが今の姿です。
周りを見渡せば、都会はコンクリートジャング
ル。
林立するビルと郊外のマンション群です。
住
宅地は分譲住宅に代表されるように、同じ色形で
表情の少ないプレハブ住宅などの洋風住宅です。
都市部での木造住宅は激減し、地方でも減少で
す。
新設住宅に占める木造比率は45%程度にまで
落ち込みました。
大工・工務店は高齢化と後継者
不足、建築基準法の度重なる改悪や新工法への対
応の厳しさ等からこの20年間だけでも約40%の減
少です。
戦後五十年余、日本は世界に類を見ないめざま
しい発展をしてきました。
その下で私達は随分豊
かさを享受しながら、いつの間にかそれを当り前
のように過ごしています。
ところが、その成長の裏で、膨らむ矛盾には気
づかないことが多かったようです。
時代はいま大きな転換期
日本の社会は問題だらけ、矛盾だらけで危険が
いっぱいです。
21世紀を前に混沌の中にあるよう
なこの時だからこそ、戦後の50余年とは一体何だ
ったかを考えつつ、これからの日本の住まいを考
えるべき時に来ています。
それは、社会の枠組み全体、そしていま私達が
当り前としているものの見方、考え方、価値観や
常識とは何かを考えなければなりません。
いま日本は、環境問題も犯罪も異常な深刻さで
すし、病人は増えるばかりです。
景気は最悪で倒
産の続発、銀行の貸し渋りは公的資金が投入され
ても改善されそうにありません。
政治は全く無力
化し、官僚行政も腐敗し、問題の隠蔽と先送りば
かりです。
経済の心臓役のはずの銀行は生きるか
死ぬかの瀬戸際です。
この下で産業界は、これまでのように流行を煽
って大量生産するにも、資源不足があり、その上、
浪費よりも節約へと変ってきています。
大量廃棄、
大量焼却はダイオキシン、環境ホルモン等の問題
を引き起こします。
あらゆるものが、これまでの枠組みの下では、
対処することも、判断することもできなくなって
います。
明らかに視点を変え、古い概念と価値観
を乗り越えて、混沌の先を読まなくてはなりませ
ん。
私達が関係している住まいの問題をとらえても、
耐久性が問われ、健康破壊が問われています。
戦
後のプレハブをはじめとする住宅の洋風化は、果
たしてこれで良かったのだろうか、何かがおかし
いということを多くの人々が感じてきています。
洋風住宅の中で、その骨格となる高気密化・高断
熱化への疑問と質問は広がるばかりです。
アメリカナイズされた日本の文化
冒頭に触れたように、数千年の日本の歴史の中
で住まいを支えてきたのは、木の文化であり、木
の住まいでした。
ところが、それがいつの間にか洋風住宅が主流
になり、建築学科でも木造住宅を学ぶ機会はほと
んどなくなっています。
果たしてこの現象は、歴史の必然であったかど
うかです。
では私達が当り前としている価値観とは何か、
常識とは何かです。
明らかに数千年にわたって培
われてきた日本的な価値観とは違います。
明治維
新後、大々的に取り入れられてきた洋風文化が影
響していることをまず考えないわけには行きませ。
しかし、それはまだ序の口で、根本から西洋文
明に馴らされたのは戦後です。
いま常識とされる価値観は、基本的には西洋文
明に支配された近代思想、資本主義的価値観とで
も言うべきものです。
特にその中心は、戦後日本
を支配したアメリカ的価値観です。
アメリカは建国200年余りの歴史の浅い国です。
西洋の各国から様々な理由で渡ってきた人々に加
え、奴隷として連れて来られたアフリカ各国の人
々、中南米やアジア系など世界の殆どの民族の集
合体ですから、ここでは伝統や歴史的文化遺産は
関係ありません。
あるのは、競争の自由、個人の
自由です。
そして、良し悪しの基準は多数決です
から資金の多い方が多数派になることが多くなり
ます。
こういうアメリカ的要素が中心となった西洋文
明が日本を支配してきました。
この支配は、言うまでもなく軍事的、政治的、
経済的に日本がアメリカの意と利益に叶うように
仕組まれ、それを安保条約とその関連条約その他
で合法化したものです。
しかし、もっと大きな意味を持っていたのは、
アメリカナイズされた文化支配だったのです。
私
達が、当り前とか常識と思っているものの多くが、
この下で植えつけられた価値観であり、ものの見
方、考え方だと言えるでしょう。
五十年余も馴れ馴れしく居ついていると、それ
が当り前のようになってしまうのは仕方のないこ
とですが、日本にふさわしく根付き、育まれてき
た「日本のこころ」「和の文化」がことごこくア
メリカ経由の西洋文化にとって替わられたかのよ
うになっています。
また、とって替わられるように政治も経済も文
化・教育も変えられてきたのです。
この下で、産業も商業も、戦後復興を効率的に
すすめるために大企業中心に仕組まれ地場の産業、
商業、伝統産業など日本的なものが次々と潰滅さ
せられてきました。
日本という国の育んだ風土や
伝統、民族性、地理や気候等とは相容れない文化
と枠組みの中に押し込められていたはずなのに、
それにきづかないで経済成長を追いかけてきたよ
うです。
このアメリカの文化支配は、対社会主義陣営へ
の不沈盤として日本を支配するために必要な条件
だったことが見えてきます。
日本民族は、世界に例のないものを持っていま
す。
日本民族の精神の根底にあるのは、先祖神へ
の尊祟を中心とする古来からの民族信仰としての
神道と仏教・儒教による宗教観です。
そしてその
支柱となっていたのが約二千年間、永続している
ひとつの王朝と天皇であり、大和魂でした。
こんな日本と日本民族を支配するためには、日
本的精神とその依り処を無力化し、西洋の宗教観
を根っ子とした西洋文明で塗りつぶす必要があっ
たのです。
西洋の宗教観の最大の特色は、全知全能の神を
祟まつり、その神の子としての人間は、地球自然
を支配することが許されているという考え方です。
さらには、異質の文化や宗教を排除することさえ
正当化されています。
いま私達が感じている矛盾、日本が直面してい
る矛盾と困難が、アメリカの支配の下での文化づ
くりと経済成長の結果として見ると様々な疑問の
答が見えてきます。
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