学校教科書に採用された、唯一の木の話です。 情報提供者 小原二郎先生 |
私たちは長い間、木綿(もめん)と木の中で暮らしてきた。だが明治以降それを捨てて、新しいものへ、新しいものへと人工材料を追い掛けてきた。それは天然材料よりも人工材料のほうが優れていると信じたからであった。だが、今明治百年の体験を経て、鉄は万能ではないし、コンクリートは永久的な材料ではないことが、ようやく分かってきた。それが木を見直そうという動きを生んだのであるが、それよりももっと大き な理由は、鉄やコンクリートには人の心をひき付ける何かが欠けていることに気が付いたからであった。
木綿や木に囲まれていると、私たちは何か心の和むのを覚える。それはこれらの材料がかつては生き物であって、その生命のぬくもりが人の肌に、ほのかな体温を伝えてくれるからである。
一般に、鉄やプラスチックのような材料は、新しいときがいちはん強く、古くなるにつれて弱くなる。機械も同じで、性能は年代とともにほぼ直線的に下がっていく。 ところが木はいささか事情が違っているのである。
今、千三百年たった法隆寺(1)のヒノキの柱と新しいヒノキの柱とでは、どちらが強いかと聞かれたら、それは新しいほうさ、と答えるに違いない。だが、その答えは正しくない。なぜなら、ヒノキは、切られてから二、三百年の問は、強さや剛性(2)がじわじわと増して二、三割も上昇し、その時期を過ぎて後、緩やかに下降する。その下 がりカーブの所に法隆寺の柱が位置していて、新しい柱とほば同じくらいの強さにな っているからである。つまり、木は切られたときに第一の生を断つが、建築の用材として使われると再び第二の生が始まって、その後、何百年もの長い歳月を生き続ける力を持っているのである。
【学習の手引き】
1.「本文は大きく三つの段落に分けられている。それぞれの段落ごとに、筆者が述べていることを整理してみょう。
2、筆者は「木の魅力|」とはいったいどのようなものだと述べているのか、一で整理したことをもとにして考えてみょう。
3、「二十世紀は機械文明の時代だが二十一世紀は生物文明に移る。」という
意見について、各自の考えをまとめ、話し合ってみよう。