2025大阪・関西万博で「木材がどこに、どう使われているか」を、現地写真とメモで記録するページです。 1970年(千里万博)との違いも「木の視点」で比較します。
このページでわかること
- 木材が印象的に使われている 海外パビリオン/国内館・施設 のリンク集 (160頁・6000枚の写真)
- 一覧表(全体俯瞰):木材の使われ方・特徴をまとめた一覧(国別・施設別)
- 1970年→2025年の変化(会場の考え方、日陰、木の存在感)
- 現地撮影写真とメモ(新情報が入り次第、追記・修正)
最初におすすめ: 全体像をつかむなら、まずは一覧表へ。
▶ 木材利用の一覧表(パビリオン・施設まとめ)
木材の使用部位(構造/外装/内装など)・特徴・メモを、国別に見渡せるページです。
「どこを先に読むか迷う」場合の入口として作っています。
2026年1月6日現在54のパビリオン、施設を掲載しています。
※更新型のページです。新情報が入り次第、追記・修正します。
概要:1970年→2025年、木材はどう変わったか

1970年、日本で最初の万国博覧会が大阪・千里で開催されました。私も当時、協会職員として 「お祭り広場」の運営に携わり、毎日が刺激に満ちていたことを今でも鮮明に覚えています。
一方で、当時の日本のパビリオンでは木材の存在感があまり見えず、海外館の木の使い方に比べると大変残念に思いました。
ところが2025年は印象が大きく変わりました。象徴的なのは巨大な木製の大屋根リングです。 1970年会場は日陰が少なく暑さが課題でしたが、今回は「日陰をつくる建築」が会場全体の骨格になっています。
さらに、木材を多用するパビリオンが格段に増えました。自然回帰や環境意識の高まりに加え、 工法・材料の選択肢の増加、そして「感性」の変化も感じます。 このページでは、木材・樹木が印象的に使われたパビリオンを中心に紹介していきます。
パビリオン/施設リンク集
ここは「個別ページへの入口」です。各行の▶をクリックすると展開します。まず全体像をつかみたい場合は、下の「一覧表」も便利です。
海外パビリオン(木造や木材多用)
国内館・施設(木材や木材多用)
アフリカ館の木製品展示や樹木関係
一覧表(俯瞰用)
一覧表:「どの国/どの施設が、どんな木材の使い方か」を一気に見渡せます。
- 木材の使用部位(構造/外装/内装など)を、短いメモで整理
- 構造が木造のものは赤文字でわかりやすくしてあります。
- 現地確認や新情報に合わせて、随時アップデート
※一覧表を先に見てから、気になった館を個別ページで読むと、最短で全体像がつかめます。
木の施設マップ
BIE公式参加者褒賞(受賞一覧)
万博では、展示デザインなどに対する褒賞(BIEの公式参加者褒賞)もあります。 受賞館を確認したい場合は、下記の一覧が便利です。
会場整備:当社の関わり
2025大阪・関西万博では、会場整備(サプライヤー)としても関わりました。当社はウッドデッキ材の供給と施工で関わりました 実際に木を扱う立場から、会場の「木の使われ方」を見つめています。
ポップアップステージ 東外(東ゲート〜リング導入路)
- 場所:東ゲートからリングへ向かう導入路周辺
- 印象:出演者の方からも好評でした
- 基本・実施設計:萬代基介建築設計事務所
- 建設:株式会社 岡部(富山県)


万博が個人や会社に与えた影響
個人の場合
1970年の万博は、私個人にとっても当社にとっても大きな影響を与えました。
学生時代の私は、勉強、受験、クラブ活動など何をしても思うようにいかず、このままでは人生がだめになるのではないか、何か体験を通じて自信をつけたいと考えていました。最後の望みが万博でのアルバイトでした。
テレビ関係会社のアルバイトでしたが、協会に出向したことがきっかけで協会職員となり、翌年3月までの1年間、日本万国博覧会協会の職員として事業第一部制作三課に所属しました。勤務場所はお祭り広場の楽屋でした。
世界各国の人々と交流する魅力にとりつかれ、多くの友人を得ることができました。詳細は割愛しますが、インドネシア語で会話ができるようにもなりました。
翌年4月からの就職は決まっていましたが、インドネシア派遣要員として総合商社の木材部から声がかかり、憧れのインドネシアへ行くことになりました。3月に中途入社し、研修後すぐに同国を訪問しました。
その後、現在の会社に入ってからも再びインドネシアへ行きたいという思いを持ち続け、その一環として大阪青年会議所に入会しました。1年後、経団連の日本インドネシア委員会からの要請で日本青年会議所のインドネシアミッション計画が立ち上がり、出向してその実行を担うこととなりました。2年間で2度訪問しました。
また大阪青年会議所では最終年度にインドネシア経済ミッションを企画し、大阪市や関西テレビを巻き込み、蝋山大阪大学教授を団長に、市役所職員2名、ジャーナリスト1名、関西テレビ3名を含む総勢30名の視察団を率いて訪問しました。これらの過程で万博時代の友人や商社時代の知人と再会することができ、その交流は現在も続いています。(これらの活動はNHKで約9分間放送されました。)
万博のおかげで、自信のまったくなかった若者が、さまざまな体験を通して大きく成長することができたのです。
会社の話
1970年の万博当時、当社は大量の杭丸太や木矢板などの土木仮設材をゼネコンへ納入しました。当時の社長(実父)が、ある時ぽつりとこう言いました。
「たくさん納入したのに、パビリオンが完成したら何も見えなくなる。何か形に残る仕事がしたいなあ」
この言葉は、ずっと私の心に残っています。
私自身も万博の建物の美しさ、会場の華やかさ、国際交流の楽しさを体験していましたので、博覧会や遊園地などの仕事に関われないかと常に考えていました。
その後、神戸ポートアイランド博覧会が開催されました。私の直接の担当ではありませんでしたが、経営者として、今後このようなユニークな分野を会社の戦略に取り入れていくようになりました。
淡路島の地方博、花博、リゾート博などでさまざまな仕事をさせていただき、テーマパーク分野でも業界を驚かせる実績を重ねてきました。
花博、リゾート博、そして2025年大阪・関西万博へは、木造施設の提供(寄付)もさせていただきました。









