ここまでが材を横に使ったものである。ところで横はなぜ木偏なのだろうか。クイズで「木偏に春は?木偏に白は?」などに続いて「木偏に黄は?」とすると大抵答えられない。それほど木との関係が意識されないのは極と同様である。横にして人の通行を妨げるための棒、さらに発展して門の閂(かんぬき)に使う木には、薄明かりでも見える地が黄色の木材を使い、これを「横」と言った。転じて「よこ」の概念を指すようになったが、横柄、横車、横暴のような使われ方のため、良くないイメージの字として中国では人名には使われない。
権も「なぜ木偏?」と言う字である。木を横に使うものと関係があるのでここで取り上げる。秦の始皇帝の偉功の一つが度量衡の統一である。権力の行使に不可避の 評価が公平、客観的であればあるほど信頼は得やすく、権力を発揮しやすい。任せるに足る腹心を得られなかった始皇帝が評価基準を客観的にすることに力を注いだのはよく判る。弁護士のバッジに天秤がデザインされているのも、人の評価はできるだけ客観的にという趣旨である。こんな前置きをしたのは、権が現在のような意味で使われる前は棒を横に使う「はかり」の意味があり、はかり用の「おもり」に使われたのが個々の重さに偏りの少ない「権」と言う木の実であったらしいのである。