法隆寺の五重の塔がなぜいままで崩壊せずに持ちこたえられたのか。
ひとつの理由に強度があげられる。 木材の種類によりますが一般に 針葉樹は伐採してから数十年から数百年 までの間、強度が増加します。
ヒノキは伐採後200年ぐらいが強度的に 最強になり、あとは徐々に弱くなり 1200年ぐらいで、伐採時の強度となります。 通常の素材、物質では出来たときが一番強いが、あとは弱くなる一方ですが、 木材の場合は神秘としかいいようがない。
ただし、衝撃値は300年くらいまでの間に30%ほど低下し、その後はほとんど変化します。結論としてヒノキは古くなるにつけて、硬く強く、かつ剛(かた)くなるが、一方ではそれと並行して脆(もろ)く、割れやすくなっていく。
第一次世界対戦の飛行機は、その当時最強の材料として木材を使った、 第二次世界対戦でも英国の名戦闘爆撃機モスキートはオール木造で した。また世界最大の飛行機も木造でした。
その後ジュラルミン、チタンが開発された。つまりジュラ ルミン、チタンが 開発されるまでの重さあたりの強度は木材が一番であったということです。
図参照 (重さあたりの強度比較)
日本でも静かな巨人と呼ばれた木製飛行機がありました。名称は「ク七」という大型滑空機であった。昭和17年2月に軍から日本航空工業株式会社に試作の発注がされた。会社ではすぐに京都製作所で基礎設計に着手し、5月には本格的な設計に入り、12月には設計を完了した。社内では「まなづる」と呼ばれていたが、このような大型で木製の飛行機であるため、一筋縄では完成しないことは事前から予想されており、周到な計画が練られた。
まず、強度試験用の「ク七Ⅰ」が18年1月に完成し 強度試験が完了したのは3月、その結果を反映した 実用型の「ク七Ⅱ」を着手したのが6月で翌年19年7月に1号機が完成した。
開発にあたって、できるだけ軽合金材料を節約することを目的としていたため木製化が図られていた。昭和19年8月15日に初飛行した。乗員2名、7トンの戦車などの重量物、あるいは30-40名の兵員を輸送することを目的としていた。 日本の航空機史上最大の滑空機(グライダー)であった。幅は35メートル、全長20メールで、ドイツのメッサーシュミット「Me321ギガント」にはおよばないが、これに次ぐ大型機であった。