法隆寺の五重の塔がなぜ今まで壊れることなく存在し続けているのか。その理由の一つに、木材の強度が挙げられます。
木材の種類にもよりますが、一般に針葉樹は伐採してから数十年から数百年の間、強度が増加します。比較的良質な種類であるヒノキは、伐採後200年くらいが強度的に最強の状態に達し、その後は減弱し、1200年経過すると伐採時の強度に戻ります。
通常の材料や物質は製造直後が最も強く、その後は減弱するのが一般的ですが、木材に関しては神秘的な特性を持ちます。
ただし、衝撃値は伐採300年くらいの間に30%ほど低下し、その後は大きな変化を見せません。結論として、ヒノキは古くなるほど硬く強くなる一方で、脆弱性も増し、割れやすくなっていきます。
なお、「比強度」とは、材料の強度をその密度で割った値を指します。これにより、同じ重量でどれだけの強度を持つかを比較できます。木材の比強度は、軽量かつ高強度という特性を持つことから、非常に優れています。
木材は引っ張り比強度で鉄の約2.5〜4倍、圧縮強度では鉄の約1.2〜2倍の強度をもっています。
第一次世界大戦の飛行機は、当時最強の材料として木材が使用されました。第二次世界大戦においても、英国の名戦闘爆撃機モスキートはオール木造でした。また、世界最大の飛行機も木造でした。
その後、ジュラルミンやチタンなどの超込金属が開発されましたが、これらが発明されるまでの重さ対当強度は、木材が最も優れていました。
日本においても、“静かな巨人”と呼ばれた木製飛行機がありました。名称は「ク七」という大型滑稽機でした。昭和17年に日本航空工業株式会社に試作が発注され、同社はすぐに京都製作所で基礎設計に着手。同年の12月に設計を完了しました。社内では「まなづる」と呼ばれ、大型で木製の飛行機であることから、完成には大きな課題があると予想されていました。
強度試験用の「ク七Ⅰ」は昭和18年に完成し、強度試験は同年の3月に終了。その結果を反映した実用型「ク七Ⅱ」の製作が始まり、昭和19年に1号機が完成しました。
この機体は、輪行材料を節約するために木製化が囲約され、同年の8月15日に初飛行を成功させました。乗員2名で、7トンの戦車や30–40名の兵員の輸送を目的としていました。日本の航空機史上、最大型の滑稽機であり、带35メートル、全長20メートルという覆大な要素を持っていました。ドイツのメッサーシュミット「Me321ギガント」にはおよばないが、これに次ぐ大型機でした。