ちょっとおかしな木の話

木製飛行機

「デ・ハビランド・モスキート」とんでもない木製飛行機

モスキートと言う飛行機が第二次大戦中に活躍しました。
作ったのはイギリスのメーカーで「デ・ハビランド」という会社です。
「風と共に去りぬ」のメラニー役のオリビア・デ・ハビランドの親戚の会社です(個人的意見で恐縮ですが私はこの人の方がスカーレット役のビビアン・リーより余程奇麗と思っております)。
飛行機好きの方はこの飛行機をよくご存知だと思いますが世界の傑作機の中には必ず顔を出す飛行機です。
この飛行機はどこが優秀だったのかと言いますと。
まずスピードが早かった。
それもすさまじく早かった。
この飛行機は本来爆撃機でしたが最高

速度は612kmも出せました(最終型では664km、それも高度12,810mですからすごいものです。
太平洋戦争中に日本の戦闘機が追いつけなかったB29でさえ最高速度576km、ゼロ戦で518kmの最高速度ですから、その速さが分かると思います。
そのスピードの早さを生かし、最初から防御用の機関銃は搭載しませんでした。
又、操縦性能が良く小回りがきいたので、非常に困難な役割をいつも与えられました。
例えばゲシュタポ(ドイツの秘密警察)本部にあるレジスタンス関係の書類を処分するために、どこそこの建物のどの部屋を爆撃しろとか刑務所の壁に穴を開けて中の囚人を逃がせとか、ゲーリング(ドイツの空軍元帥)が「ドイツ国内には絶対に連合国の飛行機は侵入させない。
」と演説している会場へ超低空でコソッと忍び寄ってドイツ空軍の面子をつぶしてくるとか夜間にイギリス軍の爆撃機がドイツ国内を爆撃する時に正確な位置が分かるようにあらかじめその場所に花火を落としてくるとか、よく使われたのは「いやがらせ爆撃」と言って、昼間に爆撃されて夜になってようやくホットしたドイツ人が寝る頃を見計らって少数で爆撃に来る、おかげで、ドイツ人は睡眠不足に悩まされ、撃墜しようにも高速で逃げ回る。
まあモスキート「蚊」と言う名前どおりのドイツ人にとっては腹立たしいかぎりの飛行機です。
そこまで活躍した飛行機が何と材木屋でも信じられないことに全木製なのです。
それではなぜデハビランド社がこの飛行機を木で作ったのか、それが又なぜ高性能だったのかと言いますと。
まず戦争が始まる前にはデハビランド社は小型双発の高速爆撃機を計画しました。
そしてそれは木製で作ろうと決めていました。
理由は1.木製には技術的に自信があった。
2.戦争になれば、金属資材が不足するだろうし、何よりもジェラルミンで作るのはリベットでとめるだけでも大変な手間がかかるが、木製だったら簡単に出来るし、戦争になれば開店休業状態のイギリス国内の家具屋さんや木工所を利用できると考えたからです。
しかしさすがのイギリス空軍も「いまさら木製飛行機なんて時代錯誤もはなはだしい」と全く取り合いませんでした。
しかしここでイギリス人の頑固さというか、あきらめを知らない根性と言うか、デハビランド社は「許可をもらえんでもええ、金ももらえんでもええ」と独断で開発を進めました。
最後にはイギリス空軍も根負けして、「そこまで言うなら見せてみろ」と言うことになり、試験飛行をしたところ、当時のイギリスで最も高速の戦闘機でさえ600kmしか出せないのに、モスキートは爆撃機でありながら630kmも出してしまいました。
そればかりか、試験飛行の途中、事故で機体に穴が空いたのをその場で接着剤とビスで修理してしまい、性能だけでなくその修復性の高さにいたく驚いたイギリス空軍はすぐに生産開始を命令しました(最終的には偵察機型や戦闘機型も派生し、カナダやオーストラリアでのライセンス生産を含め8000機近くが製造されました)。
この飛行機の優秀性はその機体にありましたが、機体の構造が樺の木を両側にバルサ材を真ん中にサンドイッチしたベニヤ板のモノコック構造であることが、軽くて強度がある機体の秘密でした。
又この機体は生産が楽なように縦に2分割され別々に作ってあとから真ん中でくっつける方法を取っていましたので、非常に生産効率が高く、又女性のような非熟練工でも簡単に作れる機体でした。

しかし良いことばかりとも限りません。
初期にはエンジンの過熱で翼が飛んでいる時にくすぶってきたとか、東南アジアに派遣されたモスキートが、高温多湿の気候のせいで機体が腐り出したとか木製ならではのトラブルがありましたが、操縦しやすく、1万メートルの高空を飛んでいても金属製の戦闘機のようにすきま風がなく暖かかったとか、予想外の長所もありました。
ではそれならば、他の国では木製の飛行機はなぜ成功しなかったのかという疑問がありますが、一番の理由はデハビランド社には木製に関する知識・技術があったからです。
日本にはそう言う知識も技術もありませんでしたので、ジェラルミン製の飛行機をそのまま木製で作らせて金属製より重くなってしまった上に強度が不足するという結果になってしまいました。
ドイツの場合も良い飛行機は作ったのですが接着剤に良質のものがなく、飛んでいる内にバラバラになってしまったりでうまくいきませんでした。

それにしてもモスキートのみが木製飛行機として成功したことを納得されにくいとは思いますが、これは開発したデ・ハビランド社の設計思想が良かったこと(軽い機体構造と強力なエンジンを搭載する無武装・高速力の爆撃機と言うコンセプトが明確であったこと)。
木製に関する技術が優秀であったこと木の特徴を非常によく把握して、木のもつ欠点を出さないように、木の長所を充分生かすように、しかも生産面における合理化まで考えた設計をできる程のノウハウがデ・ハビランド社に蓄積されていたこと)そして何よりも総スカンを食らいながらも、しかもあの戦争の最中でありながらも自社の信念を貫き通したジョンブル魂があったからでしょう。

制作者からのコメント

木材製品の企画をしている時によく感じるのですが、一般の建築士さんからの図面は木を金属やプラスチック と同じ性質のものと考えて設計されている場合が多いのです。
これは説明してもなかなか分かりにくいですし、 認めてもらいにくいところです。
それでいて木材の機能的に優れているところより感性での優れたところに重きを置く傾向があり、木材に対して長所も欠点も含めたドライな目で見ることがなかなかできません。
 そう言う意味で、戦争という全くドライでしか考えない究極の状況で木製の飛行機がこれだけ成功した 意味を考えてみる必要があると思います。

京都大学木質科学研究所 井上博士からのコメント (抜粋)
1.ボーイング社も創設者エドワード・ボーイングも材木商でした。

2.第二次大戦中に木製飛行機が注目されたのは、当時、開発されたレーダで発見されないため、奇襲攻撃ができたためもあります。

3.京都大学木質科学研究所は、戦時中に木製飛行機の開発を目的に創設(1944年)された研究所だそうです。

  
モデル写真はデアゴスティー社の『隔週刊 第二次世界大戦 傑作機 コレクション』のひとつです。
 

モスキート(切手)
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