NHKで全国放送されました
『beyond 1970万博--万博でのアルバイトをきっかけに人生が大きく変わったひとりの若者の話』万博での仕事~インドネシアなどの日本での中川勝弘の様子がNHKで2023年12月に全国放送されました。
You Tube 約9分
大阪万博でインドネシア館の人々と親しくなった私は、彼らの影響でインドネシア語を学び、約1ヶ月で日常会話ができるようになりました。
当時、就職先は総合商社の日綿実業(後にニチメンと改称、その後日商岩井と合併し双日へ統合)傘下の子会社に決まっていました。しかし、インドネシア語が話せることや、私自身がインドネシア駐在を希望していたことが評価され、商社本体に入社し、インドネシアでの仕事に従事することとなりました。
そのため、1971年3月に中途入社し、同年6月にはインドネシアへ赴任しました。 当初、1年6ヶ月の長期出張予定でしたが、インドネシアでの仕事や生活が楽しかったため、駐在の延長を2回申請し、1973年2月までインドネシアで勤務しました。
勤務地は主に以下の3カ所でした:
北スマトラ州シンキルバル
シンキルティバー社のカポール材検品、本船荷役の立ち会いなどを担当。
南スマトラ州ランプン
トリダツ社およびランプンメランティ社のキャンプ地「ロックポンド」にて、メランティ材の検品、本船荷役の立ち会い業務を担当。
西カリマンタン州ポンティアナ
カリマンタンサリ社、フータンラヤ社、アブディ社、SIS社などで、ジェルトン材、ジョンコン材、ラミン材の検品、本船アテンド、情報収集、本船荷役などの業務を遂行。
1回の出張は平均4日から1週間程度で、ジャカルタには出張の合間に戻り、骨休めの場として利用していました。
現在のところ、情報は完全に整理されていませんが、左のメニューからご覧いただけます。ご質問やご意見がありましたら、メールフォームや電話などでお気軽にお寄せください。
中川勝弘
・南スマトラの森‐剥離現場
・南スマトラの中間土場、キャンプ地
・南スマトラの森‐怖い想い
・南スマトラの森‐川に落とす
・南スマトラの森‐筏で川を下る
・南スマトラの森‐重機、トラック、スキッダーなど
・南スマトラの森‐悪路
・南スマトラの森の中
・南スマトラの森 伐採丸太をトラックに積込み
・西カリマンタン ポンティアナのトロッコ出材
写真撮影の年月は1970年から1973年です。
フィルムはタンスに大切に保存していましたが、何分50年以上が経過しています。また、現像は当時ジャカルタで最も大きなカメラ店であった「ジャカルタフォト(Djakarta Foto)に依頼していました。
保存していたフィルムをすべて普通のエプソン製スキャナーでフィルムスキャンしましたが、経年によるゴミや変色などが見られます。
当時、カラー写真は非常に高価だったため、普段は白黒フィルムを使用して撮影していました。使用フィルムは主に富士フイルムで、一部コダックのエクタクロームも利用していました。感度はASA100でした。
カメラはNIKON-Fを主に使用し、レンズはサン光機のYS-60(60-135mm F3.5)や、中国製 中判スプリングカメラ「海鴎-203」を使用していました。途中からミノルタの機材も使用するようになり、魚眼レンズもミノルタで利用していました。
カメラは非常に高価で、盗難の対象となりやすかったため、常に隠しながら撮影していました。
また、露出やピントを調整するのに時間がかかり、撮影はいつも苦労の連続でした。