学校教科書に採用された、唯一の木の話です。 情報提供者 小10-原二郎先生 |
高温多雨の条件に恵まれた熱帯地方の樹木は年輪を作らない。年じゅう生長を続けることができるからである。しかし乾季と雨季の交代の激しい所では年輪ができる。 樹木はまた偽年輪を作ることもある。生長期に洪水や干天に見舞われたり、葉を害虫に食われたりすると生長が止まり、回復すると再び生長を続けるので、一年に二つの年輪ができることがある。つまり木目は幾星霜の風雪に耐えた木の履歴書(☆)なのである。
人間にもまた年輪がある。それは精神の中に刻み込まれるから、樹木の年輪のように定かではないが、その人の経験と生きる努力の中から生まれるものである。だから我々は木の年輪の複雑な文様の中に、自然と人間との対話を感じ取る。それが木肌の魅力の最大のものと言えよう。したがって木は人によって生かされ、人によって使い込まれたとき、本当の美しさがにじみ出てくるのである。 私たちは物を作るとき、構造とか技法とかを考える前に、材料の選択に大きなエネルギー(18)を使う。それが出来上がりの美しさを決定的なものにするからである。だが、 西洋の美学ではそういう考え方はしない。どんな材料でも意志と知性と美意識を持ってやれば、人間はりっばな美術品を作ることができると信じている。こうして見ると、日本人の精神構造とその美意識、更にまた自然観は、木と極めて密接な関係を持っていることが分かってくる。
そうした素質を持つ日本人だから、木の利用に当たってもその発想は違ってくる。 木を手にしてまず気になるのは美しいかどうかということである。工芸的な判断が先に立つから、工業材料としての冷静な対策が出てこない。「器用貧乏」ではなくて 「木用貧乏」なのである。
【学習の手引き】
1.「本文は大きく三つの段落に分けられている。それぞれの段落ごとに、筆者が述べていることを整理してみょう。
2、筆者は「木の魅力|」とはいったいどのようなものだと述べているのか、一で整理したことをもとにして考えてみょう。
3、「二十世紀は機械文明の時代だが二十一世紀は生物文明に移る。」という意見について、各自の考えをまとめ、話し合ってみよう。