最近、いろいろなところでいろいろな人が、昭和六〇年代を目前にひかえている時点に立って、過去を振りかえりその特徴を整理したうえで、では六〇年代はどういう時代になるかについて発言をしています。昭和二〇年代というのは、衣も食も住もすべて極めて不足しており、多くの人が生きるか死ぬか栄養失調になるかというような全く混乱の時代であったわけですが、では三〇年代はどういう時代であり、四〇年代、五〇年代はどういう時代であったか、そして昭和六〇年代はどういう時代になろうとしているのか。 (株)田辺経営の田辺昇一社長は、昭和三〇年代はトンの時代であり、四〇年代はキログラムの時代であり、五〇年代はグラムの時代である。それから六〇年代はゼロの、目方のない時代である。と表現されています。
また、ダイエーの中内 功社長は、昭和三〇年代はモアの時代、いわゆる「もっと欲しい」という時代、四〇年代はベターの時代、「もっとよりよいものが欲しい」という時代、五〇年代はデファレントの時代、つまり「一味違ったものが欲しい」という時代、そして昭和六〇年代はレスの時代「ものがありあまっていて物を捨てる時代」と表現されています。
田辺社長のいわれている、昭和三〇年代とトンの時代であったということは、私達の業界に当てはめると、三〇年代は鉄鋼、木材それからセメントというような、トンあるいは?で計るような原材料が非常に栄えた時代であったということを意味しています。つぎに、昭和四〇年代はキログラムの時代というのは木材で言えば原木でなくて木材の製品を作る製材所、合板メーカーの時代、他産業では自動車、さらに白黒テレビと電気冷蔵庫と掃除機とが三種の神器と呼ばれていたことに典型的に現われているように、キログラムの単位で表現できるようなものが主流を占めていた、ということを意味しています。さらに、昭和五〇年代はグラムの時代というのは、コンピューターの出現によく表れているように、そして"軽薄短小"という言葉が流行語になったように、主流をしめるものが、だんだん軽くなり薄くなり短くなり小さくなってゆく時代であった、木材業界では流通の時代であった、ということを指しています。
そして、昭和六〇年代はゼロの時代であるということは、光通信であるとかバイオマスであるとか、そういう目方では現わせないものが主流を占めてくるであろうということです。それは、私に言わせれば、五感の時代というか、見て美しいもの、さわって心地よいもの、いわゆる"味"で勝負する時代になってゆくことを意味します。木材においても、これからは感覚の時代となりデザインを無視することは許されない時代になるというふうにも言えましょう。物の時代でなくその物にどれだけサービスがついているかという時代になるわけです。ダイエーの中内社長が昭和六〇年代はレスの時代であると言っているように、もう家の中はもので満杯状態になっており、私の家庭でも家内が「我が家の物置きにはもうものを入れる余地がないのだから、旅行に行くたびに何か旅先で買って帰るようなことはしないでおいて下さい」というほどですし、女の子がパンティだけでも五〇枚も六〇枚も持っているというような時代ですから、今後はこれ以上ものを皆に持たすということになると、非常にむつかしくなってくる。これからそういう時代になってくることは、確かでありましょう。