また、最近、一戸建ての住宅建築よりも増改築の方が相対的に多くなるという傾向が出てきています。そういうことになりますと、柱はそのままで、修繕するところは壁面ばかりというケースが増えてきますから、胴縁とかタルキとか、貫とか、あるいは合板とかが沢山出るけれども、柱はさっぱり出ないという現象が強くなります。昭和五八年頃から、それまで上り調子一本であった桧の価格が下がってきていることの原因の一つはここらあたりにもあると思われます。こうした建築の変化というものは、私たちもしっかり見ておかなければなりません。
一五年か二〇年ぐらい前から、真壁工法から大壁工法へ変わるという建築工法の顕著な変化が見られています。
と言うことは、マンションに住んでいた若い人が一戸建てに替わるときに、マンションの中は大壁工法ですからどこへでも額を掛けられていたのに、真壁工法の家になると額を掛けられるのは床の間だけだということをきらって、大壁工法をとり入れるようになったわけです。若い人の感覚からすると、真壁工法よりも大壁工法の方が好ましい。普通、応接間くらいが大壁工法で、居間だけが真壁工法となっているわけですが、だんだんと大壁工法の部屋が増えてきて、いまでは真壁工法の部屋が一部屋で、あとの三部屋、四部屋は大壁工法というように変わってきた。
そうなると、大壁工法では柱は隠れてしまうわけですから、柱が六〇本から八〇本要るとすると、その中で二〇本位は一方無地、二方無地、三方無地の柱で、あとの残りは節ものの一等か若干丸味のある二等品の柱でいいということになります。真壁工法のときの柱のバランスと変わってくる。と言うことは、従来の柱は、構造体であり、かつ、造作材であるということだったのですけれども、もう構造体でさえあれば造作材的要素は全然要らないということになってくるわけです。
大壁工法が増えてきたときに、製材所の人たちが「この頃、えらく胴縁の注文が多くなってきたんやけど、中川さんなんででっしゃろな」と聞きにきたことがありますが、それは大壁工法に変わったために土壁の部分が食われてしまったわけです。土屋と竹屋のテリトリーを木材業者がとってしまって竹と土で組んでいた真壁のかわりに、タルキと胴縁が壁面の内部に使われるようになり、建材で壁を造る大壁方式に変わった。そのため、土寅とか土由とかいった屋号の店が戦前からずっと町の中には何軒かあって木造住宅の土の部分、壁の部分の需要に応えてきていたのですけれども、それが建材屋さんに業種を変えてしまった。その分を材木屋が食ったわけす。そこで、それまでの柱とか根太とか大引とかとのバランス以上に胴縁が使われるようになった。このように建築工法が真壁工法から柱が表に出ない大壁工法に移ってゆくと、柱の場合、必要な強度さえあれば節があってもさしつかえないということになりますから、山の側でも、現在、無節材が高値であるので枝打ちが各地で行われていますが、将来求められる木材は多様化すると考えた方がよい、ということになります。
こういうふうに、建築を囲む状況が変わったならば、木材の使用のところも大きく変化してゆくことを、私たちは知っておかなければならないでしょう。税制が変われば、建築基準法の基準が変われば、若い人たちの感覚が変われば、木材の末端の使われ方まで変わってくるような時代になっていると、つくづく考えさせられます。一つの政策の変化によって末端の木材の使われ方まで大きく変化してくる時代ですから、逆に私たちはあらかじめそういう変化を予測して、こういうことをして欲しいという政治活動を進めることも必要になってきたわけです。このことが、木材政治連盟を作らせた原因でもあると思います。