だがこの方式も、世界的な状況の変化と、米材輸入においても我が国の木材需要の特色である多品種少量生産に合わさなければということから、コンテナによる輸入へと変化してきました。コンテナになると、貨車二貨車分ぐらいで一つの荷が入ってきます。これによって、外材も、従来の同品種大量のものでなく、多品種少量のものに対応できるようになってきた。いままでの大量主義では、多品種少量のものには対応できなかったから、すべては向うの寸法のままの原木で持ってきてわが国の製材工場で加工するという方式が採られていたのが、産地で加工した材も日本の需要に合うように変化してきた。これは、現在そして今後に大きく影響する外材輸入の変化でありましょう。
いままで輸入されていた米材は、産地でツーバイフォー工法によって建てる建築材を挽いていて、ツーバイフォーと同じように長さは八(二・四m)、一〇、一二、一四、一六、一八、二〇フィートで原木を切ってあるから、「一〇・五mの角材はこの八フィートから二〇フィート込みで取ってくれ、それなら売ってやる」ということだった。われわれから見たら、一二フィートとか一四フィートとか、とくに一六フィート、一八フィートは使い道がないけれど、「それならば、八フィートは何%落ち、一二、一四、一六フィートは何%落ちの値段なら行ける」ということを考えて、その材を引き取っていたわけです。突っ込みで八フィート(二・四m)から二フィート飛びで二〇フィートまでの材が入ってきていた。しかし、日本の商社がアメリカで山を買うようになってからは、素材は八mか一二mに玉切りして商社が輸入してくるし、アメリカの商社から素材を買付ける場合も一〇m~一二mの長いままの材で買付けるので、わが国の製材所がこちらで欲しい寸法の材にもう一度切断して製材する、切断することによって石数が増える、上級材も取れる、そこにわが国の製材所が外材を挽くことにメリットがあったのです。
けれども、その後、アメリカの方では、日本向けの材のウェイトが相当大きくなってきたから、日本で挽いている寸法に、六m、四m、三mというように、挽いて輸出するというように変わってきたわけです。アメリカにおいて原木から日本向けの製材をするという大きな変化が生じた。この供給の変化が日本で米材を挽いていた米材工場を徹底的に利潤に乗らなくしたのです。そして、この製品輸入がどこまでで止まるかと言ったら、その限度はないと言うべきではないか、と思います。