こうした外材供給の大きな流れを念頭に置いたうえで、外材輸入の手段がどのように変化をしてきたのかを振り返ってみると、米材輸入が始まった当初は、日本への直行船を一船買い切って輸入することもあれば、あちこち回ってくる船の一部に材を積んでもらって輸入することもあるという具合でした。直行船でなくて、ハワイに寄ったり、ホンコンを回わったりする船の場合には、アメリカで材を積んでから日本の港に着くまで極端なのは一~二ヵ月もかかるということもあって、私の経験でも非常に困惑したことがあります。
その後、米材輸入が大量になってくるに伴って、大量同規格の材をできる限り安いコストで輸入するために、輸入商社が、一万?なり一万五、〇〇〇?なりの本船をチャーターするか自分で建造するかして走らせることになりました(現在では一八、〇〇〇?の船舶が適正とみられています)。
米材の買付けを例にとりますと、大きい輸入商社では本船を一〇杯以上も持っていて、これが常にピストン運転をしているわけです。ですから、アメリカで飛行場ぐらいの大きさの貯木場を持っている商社もありました。一〇万坪(三三万?)ぐらいの貯木場へ木材を買付けてビッシリ積んでいて、入った船がすぐ荷役するようになっている。船を遊ばすとマイナスですから、そのために産地と一年契約、長期契約をしているわけです。そうしますと、契約した相手は、それだけ作業員と機会を投入しますから、いま一寸状況が悪いからといって止めるわけにはゆきません。全部が数年間数量契約で動いているのですから、コストも安定して入ってきて荷渡して行けたのです。だから、日本へ入った木材も製材所が一年契約ということで頼んでいるわけです。価格はそのときに決めるとしても、数量契約だけはしているわけです。ですから、市況が悪くなったからと言ってこれを止めるわけにはいかない。価格が合わないからと言ってK製材所に材を供給しないと、この製材所はつぶれる。そうすると、材料を供給しなかったA商社がつぶしたということで、他の製材所がA商社を相手にしなくなります。だから、これも止めるわけにはいかない。産地の方も船の関係がある、産地のストック、産地と山との契約といった関係もあって、完全なシステムで動いているので、どこを止めるということができなくなっている。ここに第一章で指摘した、わが国経済の動向や需要の実態にかかわりなく、供給の側の要因によって外材が輸入され、わが国の木材業界が儲からなくなった原因を作った一つの大きなメカニズムがあった、と考えることができます。