幕末の政治・情報・文化の関係について
前国立歴史民俗博物館長 宮地正人氏のご協力を得、1988年11月5日 愛知大学記念会館での講演から製作しました。
そうしますと、それまで近世、特に近世の後期、18世紀の末からだと思っていますが、近世の後期から造り上げられていった様々な社会的諸関係、或いは文化的諸関係がそこで利用されてくる。そして、そういうものを利用しながら情報というものが自らの手に入ってくるという意味では、江戸時代後期から明治初年の社会史とこの情報問題が密接な関係をまた持ってくるだろう、と思っています。
一応私の最近考えている大きい問題の枠組みを申しましたが、このような枠組みを前提として第一に自らの体制と権益をあくまでも守り通そうとした幕府の場合、そして第二に幕府の動揺と朝廷の浮上といった新しい、二百数十年の歴史の中で未経験の新段階において自らの方向を見定めようとした諸藩、そして維新の方向をその底辺で規定していた民衆、とりわけその主導的立場にあった豪農商、この三つのグループにおいて政治と情報と文化の相互関係がどういう形をとって現れたか、ということを具体的な事実に基づいて若干御説明をしたいと思います。
まず、幕府における情報収集の問題であります。私は出版物で『井伊家史料』という、井伊直弼が大老に就任した当時集めた材料を、彦根の井伊家からお借りして編纂する作業に、その一員として十数年携わった者ですが、その中にも非常に膨大な情報史料があるわけです。
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