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彗星夢雑誌/古文書


幕末の政治・情報・文化の関係について

前国立歴史民俗博物館長 宮地正人氏のご協力を得、1988年11月5日 愛知大学記念会館での講演から製作しました。


今申しましたのは幕府政治一般の情報の形ですけれども、幕末のときに一番大事な話になるのは、一般政治的な情報よりもむしろ、外国関係の情報なのです。薩英戦争にしても下関砲撃事件にしても、条約勅許で四ヶ国艦隊が大坂湾に入ってきたあの事件にしても全て外国情報です。この外国情報をどう手に入れるか。一刻も速く手に入れて、そして国許に、いわば方針を決める材料として送らなければならない。資料を見てみますと、これも驚くべき網の張り様です。当然、外国奉行所に手を入れる。外国奉行所支配組頭ですから、よほど上の人ですが、肥後藩では宮田文吉という人がしょっちゅう「御用御頼み」として出てくる。かなり内密な話まで漏らしているわけです。二番目は、直接外国人と話ができる通詞なのです。通詞のあるグループ、ある人間に話を聞く。例えば、元治元年(1864)5月10日、いわば横浜鎖港で非常に幕府と諸外国の間が再度緊張したときですけれども、これも英国通詞役斎藤卯太郎という人から通訳のその話を聞いているわけです。三番目は、神奈川奉行所にも「御頼み」とか「御出入」の人間を捕まえていく。神奈川奉行所情報も、随分入っているわけです。あと一つは、居留外国人から直接話をきく。外国人も、かなり日本語ができる人もでてきました。アメリカ人では、ヴァン・リード、ジョセフ・ヒコと一緒に日本で最初の新聞を横浜で出した人として有名です。そのヴァン・リードから、かなり聞いています。フランス人では有名なカション、これは最初函館に居り、後で横浜に来る人ですが、カションからかなり詳しく話を聞いています。江戸周辺の外国情報のあと一つの入り場所は、浦賀奉行所です。浦賀から横浜に来ますから、浦賀奉行所にも手を回しておかなければならない。例えば、肥後藩の場合ですと、咸臨丸帰国の話は浦賀奉行所を通じて来るわけです。最初に浦賀に入るのが、万延元年(1860)5月。横浜にまで来ない前に、肥後藩は情報をキャッチしています。

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