第二の例はこのたぴの健康住宅問題である。 家を単なる容れ物と考え、それを工学的な立場で造るとすれば、高気密・高断熱が理想的であることは間違いない。省エネに役立つし、 室内空気も望みのままにコントロールできるからである。だが主人公が生き物の人間だという生物学的な立場に立てば、高気密の部屋はガス室と同じ危険性があるし、恒温恒湿の 環境は生き物にとっては理想の空間とは限らない。さらに清浄化を進めて無菌化にすると、 人間が本来持っている抵抗力が衰えて、生命力さえも弱くする恐れがある。
それよりもっと大事なことは、「保護すれば弱くなる」 というのは生物学の大原則だということだ。過保護は人類を滅亡させる恐れがあるという意見もある。体質の弱い人には保護が必要だが、健康な人には訓練が欠かせない。保護と訓練のバランスこそが健康を保つ秘訣である。以下にそのことに関連して私が聞いた幾つかの例を紹介しよう
。まず一番目の話は、高気密の快適空間についての疑問である。これは㈱日本設計の社長・会長を務められた池田武邦さんから開いた話である。池田さんは霞ケ関ビルを始めとして多くの高層建築を手掛けられた権威だけに、この体験談は迫力に富むものであった。 池田さんは日本は国土が狭いから、土地を有効に使って空地を作る必要がある。それには高層ビルが有効だと考えて、その建設に情熱を燃やしてきた。ところが次のような体験をして考え方を大きく改めた、というのである。 池田さんの事務所は新宿の高層ビルの五十階にあった。この高さになると曇った日には霧がかかって雲の中に浮いているような形になる。冬のある日仕事が終って一階に降りたら、外は雪が積った銀世界であった。一年中高気密の快適空間の中で、ワイシャツ姿で仕事をすることに馴れていたので、四季の季節の移り変わりなどは忘れていた。
この閉鎖された快適空間は北極であろうと南極であろうと、はたまた赤道直下であろうと同じで、自然とは関係が絶たれている。
戦時中に召集を受けて海軍の生活を体験した池田さんは、太陽と風と波の厳しい自然の中にあってこそ、生物は強く生き抜く知恵を学び、厳しさに耐える体力を鍛えることができると、身をもって悟った。そこでこの快適な閉鎖空間の中に住むことが、果たして人間にとって幸福を約束するものかどうかに大きな疑問を持った。まさに目からウロコの落ちる思いであった。
その後いろいろと調べた結果、人間に本当に役立つ空間を作る手本は、江戸時代にあったことに気がついた。江戸は過密な人口をかかえていながら、川は清流であった。その秘密は川岸をつくる石積みにあった。石の間には隙き間があって土がある。そこに微生物や小動物が棲んでいて、汚れた水を浄化してくれた。自然には浄化の能力があるが、それをうまく使っていたのである。しかし現代の建築技術はその生き物を殺して、都市をコンクリート砂漠に変えていることに気がついた。
そこで池田さんはその後に設計したハウステンポスでは、多くの点を江戸時代の知恵に学ぶことにした。その例の二、三をあげるなら、運河の護岸は自然石を積んで生態系を生かすようにした。また運河には水門を設けて、潮の満ち引きに合わせて水門を開閉し、海水が入れ代って死水にならないようにした。さらに汚れた水を大村湾に流さないような設備にした。そうした工夫が実を結んで、見事に環境共生に成功したというのである。
以上のお話は、人工でコントロールした快適空間が、果たして人間の健康のために役立つ環境かどうかについて、多くの示唆を含む体験談といってよかろう。