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    ID:
    28145
    年:
    2013
    月日:
    0722
    見出し:
    木の文明と水源:第1部・大切に長く使う/10 割り箸/上
    新聞名:
    毎日新聞
    元UR(アドレス):
    http://mainichi.jp/area/nara/news/20130721ddlk29040346000c.html
    写真:
    -
    記事
    考案に山里習慣が寄与  箸(はし)を使う地域は日本から朝鮮半島、中国、ベトナムまで広がる。
    本家の中国で近年、使用量が増えている割り箸は、江戸時代、下市で吉野杉から作り始めたとみられる。
    身近な割り箸も、日本人の白木好み、利用し尽くす伝統を受け継ぎ、歳月をかけて育林する吉野林業の恵みを受け作られた。  下市発祥説が生まれた環境はあった。
    割り箸の材料は、1950年ごろ、酒容器が合成樹脂などに代わるまで、酒樽に組む板(樽丸)を取った後の端材だった。
    樽丸には、無節で年輪が細かく真っすぐな「樹齢80〜100年の杉木」が最良とされた(「吉野林業全書」=1898年)。
    吉野杉はこの条件に合うよ うに育てられたのだ。
    それは細かい柾目(まさめ)が美しい割り箸にも必要だ  「全書」は吉野の樽丸の始まりについて、享保年間(1716〜36)、大阪・堺の商人が芸州(広島)の職人を黒滝村鳥住に連れてきて製作した、と書いた。
    同書は根拠を示さないが、享保年間に出た「大和志」の吉野郡の物産には既に酒樽がある。
    1713年出版「和漢三才図会」ではまだ挙げていない割り 箸の材料は提供できた。  当時、下市は物資集散地として発展し、遠い山道でも携行しやすいため日本初の手形と考えられる「下市札」を発行していた。  下市町文化財保護委員会委員長、菊田仁郎さん(84)=同町新住=は宝永6(1709)年の古文書で「わりばし」の字を発見した。
    「わ」は「王」、「ば」は「者」を崩して濁点を付けている。
    最古の割り箸の記録だ。
    文書は新住村が下市の商家から買った物品の覚え書き。
    「〓(杉)はし」「はし」もある。
    見回り 役人の接待用だった。  菊田さんは割り箸の考案には山里の習慣が寄与したと推測する。
    生家は林業。
    「山仕事には箸は持って行かなかった。
    杉の端材や香りが良いクロモジ、ツツジの枝の先を削り箸にした。
    割り箸はそんな習慣を基に、樽丸の端材を使って作り始めたのでは」と言う。
    削った枝は白く清潔感がある。
    菊田さんは「 元々、箸は杉の白い辺材を使い、戦後しばらくでも赤身は売れなかった」と指摘する。
    下市特産の「三宝」はヒノキの白い背板(辺材)を使う fff:

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