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彗星夢雑誌/古文書

幕末の政治・情報・文化の関係について

前国立歴史民俗博物館長 宮地正人氏のご協力を得、1988年11月5日 愛知大学記念会館での講演から製作しました。


そして、緒方塾というのは、お医者さんを養成するだけではなく、藩医になったり藩の侍になったりする人間が、また寄る場所にもなります。翌年の安政元年(1854)3月の手紙ですと、長州の人間、元緒方塾にいた人で、もう江戸に出て国に帰るときに緒方塾に寄っているのです。そこで話した話が、また沢井俊造の手紙によって、この羽山に送られる。蘭学者の塾というのは、単に学問の塾だけではない。幕末期になると、もっともっと大事な機能を果たしているということであります。しかも、この沢井という人は、残念ながら郷土史レベルの人名辞典にも出てこないのですが、その後江戸に行くのです。江戸に行って、竹内玄同、これも有名な蘭学者兼お医者さんですが、彼のところにまた入門するのです。大坂の緒方塾は、それ程幕府のニュースは入らないのですが、江戸の蘭学者の塾に入ると幕府のニュースそのものが入る。何故ならば、オランダ語の翻訳をこういう蘭学者がやっているからです。幕府の機密文書、それがまた漏れる。安政5年(1858)2月ですから条約を勅許するかどうかで、京都に老中堀田その他が行って必死に交渉しているその最中の手紙ですが、彼の手紙に付けられるのは、蕃書調所におけるハリスと幕府との応接書です。情報というのは、一つは、羽山という人間がきわめて強い情報要求を持っている。しかも、その気持を共有する医者仲間がいて、その人は紀州だけでなく、大坂と江戸に出る。そして、江戸に出た場合には、非常に細かな幕府の内密資料も手に入る。こういう形での情報の流通があるわけです。
 江戸情報は、羽山の場合、このようなお医者さん仲間の他に、万屋作兵衛という江戸の商人、これは今調べている最中で、ちょっと分かりませんが、そこから入ります。また当然のことながら、知人の和歌山藩士で江戸詰の人からの手紙があります。

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