幕末の政治・情報・文化の関係について
前国立歴史民俗博物館長 宮地正人氏のご協力を得、1988年11月5日 愛知大学記念会館での講演から製作しました。
以上、私が申しましたこの羽山大学という人名辞典にも何も載っていない、全く地元にも忘れられているような人が集めたその風説書というのは、彼自身の情報を知りたいという要求であると同時に、それは紀州の有田郡なり、日高郡の豪農商が共通して持っていた要求であり、要求があったからこそこのようなルートが形成される前提に、彼らのさまざまな文化的な営みというものがなければ絶対にできなかったのです。しかしながら、今までの維新史は、これは私が言うまでもなく皆さんがすでにお感じになっていると思うのですが、このような動きというのが全く出ないまま、政治の表面の動きだけでずっと記述されてきている。結局のところ幕府と薩長土肥の関係でしか書かれていないのです。しかし、維新史の一番大事なことは、私が最初に言いましたけれども、このような未だ全く記述されず、人名辞典にも出ていないような普通の人の日本の将来をうれいつつの全精力をかけた情報への欲求と入手の努力、そのようなものが全国的に広がり、そしてぶあつい社会的地層がかたちづくられて、初めて、維新の大改革が実現できたことではないかと思っています。従いまして、やはり政治史も大事ですが、政治史を真に生き生きした政治史に成長させるためにも、皆さんと一緒にこういう問題を今後とも考えていきたいと思っています。
ご清聴ありがとうございました。
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