幕末の政治・情報・文化の関係について
前国立歴史民俗博物館長 宮地正人氏のご協力を得、1988年11月5日 愛知大学記念会館での講演から製作しました。
ところで、これまでのは、羽山大学が自分の興味で、自分の持っている資本で情報を集めるのですが、しかしながら情報というのは、単にそういう形で集まるのではないということが、幕末の大変面白いところです。
一つは、御坊という町の商人からの情報が入る。或いは逆に、羽山がそういう商人に情報を提供しているということです。これも時間の関係で一つしか挙げませんが、紀州商人は江戸に店を出すと同時に、松前に店を出す。一番有名なのが、栖原屋角兵衛という人です。彼は、明治維新後も蝦夷地、そして樺太経営に関係する人です。この人の手紙が、やはり商売仲間であったと思われます御坊の岡屋孫四郎という、御坊でいえば大商人に来ているのです。話は全部、ロシア人と蝦夷地の話です。そして、その手紙が羽山大学の風説留にちゃんと書かれている。ですから、羽山大学とういうお医者さん、彼はとても物好きで、そして非常に国事を憂えているのですが、彼は単に自分で情報を集めるだけではなくて、一つの情報交換グループを今の地域で言えば、御坊の町の中で作っていた、というふうに私は考えます。そうしないと、百冊以上の風説書に留める材料はあつまりません。
ただ、この史料を見るまで気がつかなかったことですが事はそう簡単ではない、ということなのです。いいかえれば、御坊という小さな町での情報交換のレベルに留まってはいない、ということなのです。何故かと言いますと、それ以上彼の目を広げる枠が在地にあるのです。
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