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彗星夢雑誌/古文書

幕末の政治・情報・文化の関係について

前国立歴史民俗博物館長 宮地正人氏のご協力を得、1988年11月5日 愛知大学記念会館での講演から製作しました。


只今ご紹介頂きました宮地です。私のやっていますのは幕末維新期の政治史ということで、今日はそのことについて最近私が考えていることの若干をお話させて頂きたいと思います。
 私は、我田引水かもしれませんが、日本の歴史の中ではやはり明治維新が一番面白いと思っており、最近ますますその泥沼にはまりこんでしまい、やりたいと思っている戦後史にはなかなか移れなくなっています。何故、幕末維新期がこれ程面白いか、史料の一つ一つが生き生きしているのかということを考えますと、今、田崎先生の御紹介にもありましたように、私は今から15年位前までは日露戦後の社会の問題に興味を持ってやっていたわけです。この時期の事実なり、出てくる問題点が面白くないというわけでは全くありません。しかし結局そこに出てくる人間というのは、やはり国家の方に引き寄せられてしまう人間なのです。いかに民衆が国家に捲き込まれるか、いかに国家に自己を同調させるか、という側面だけが浮き彫りになってくるのです。堅苦しい言葉を使いますと、天皇制国家の確立とか、或いは国民の内部への天皇制イデオロギーの浸透、或いは日本帝国主義の完成と国民統合というように纏められるような時期であります。したがって民衆の主体的なエネルギーがなかなか掴まえにくい。普通の資料からはストレートに出てこないわけです。しかし、明治維新のときには、二百数十年間絶大な権力を持ち、永遠に続くと思われていた幕府が、あれ程見事に動揺から解体への途をたどります。この下降線をたどると幕府と、それに反比例して浮上してくる朝廷との間で、この吉田における吉田藩も含めて全国の諸藩が必死で自らの方向を定めなくてはならない。しかも、藩なり、幕府の下で支配されていた諸階層全体が情報を掴み自らの方向を決めなくてはならないところにたたせられていった。当時の身分制の枠を使えば、上は「ミカド」と呼ばれていた孝明天皇から、下は身分制の下一番押さえられていた被差別部落の人々まで主体的に動かざるを得ない時代となってくるのです。江戸時代の普通の感覚では五十年から百年位掛けて徐々に解決されるような諸問題が、幕末維新期には数年、或いは数ヶ月で答えが出てしまう。余りにも目まぐるしい動きなので、百数十年後の今日の我々でも、幕末のあの政治過程を一つ一つ取り上げて、それがどう結びついていたのか、どういう段階があり、どのような順序で展開していったのかは未だに分かりにくい程の激動をしたわけです。

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