彗星夢雑誌/古文書

幕末紀州の知識人 羽山維碩(大学)

風説留 *1 『彗星夢雑誌』百十五冊記す

和歌山文化協会郷土研究部部長 小弓場弘文

 次に『彗星夢雑記』の規模と体裁であるが、期間は嘉永六年(1853年)7月から明治2年(1869年)の初めまで、大学が46才から62才の春まで前後実に17年、正味15年半の間、紀州の勤王の先覚者「菊池海荘」をはじめ大学と共に幕末日高の三先覚者と称せられた「瀬見善水」「由良守応」らの有効知人と連絡し、各々、江戸、京都その他手筋から中央政局の推移、各地の状況、海外のトピックから市井の些細な事にいたるまで書信と言わず、風説と言わず、見聞と言わず、あらゆる方法によって、これを知るに努め、互いに得た情報は交換して、時局の把握と認識につとめた。また入手した情報は御坊周辺に人々に提供する場をもった。すなわち情報の公開と交換システムをつくりあげたのである。
 また自ら入手した情報は控えを残し、他から得たものは残らず写しとり、一枚刷りや内外の新聞や太政官日誌などからも写しをとり、恐らく周囲の人々などにも回覧したり読み聞かせしたりし、これを保存したものが漸次積って相当な量になったのでこれを年次別、事件別に綴ったのが『彗星夢雑誌』である。
 したがってこれは、大学が著述したものではなく、名の通り雑誌であり雑録といえる。
 その量は三十八編にも及び、上中下の三冊をもって一編とし、初編から三十八編まである。この内、三十六編は付録一冊あって四巻からなっている。したがって総数百十五冊と外に総目録一冊がある。現在百十四冊が残されている。
 『彗星夢雑誌』の体裁は、半紙型の粗末な資質の紙(中央折り目のところ、下部に杏花堂の三字を刷り込んでいる二十行の罫紙、藍色刷、これは大学が自家用のため罫紙の木版をつくり、印刷したものであろう。)を用いている。但し中にはこの罫紙ではく半紙のものもあるが、それらは筆跡を異にしている。察するにこの分は外から来たものをそのまま綴り込んだものであろうと思われる。
 一冊の量は四十枚内外から八十枚内外までで一定していない。総数にして約六千枚で、その量に驚かされる。
 初編から第十篇下巻までの三十巻の表紙は医学書の表紙をはずしたのを用いており、また前編を通じて表紙の貼り紙は書きつぶしの反古を用いているなど大学の質素さがしのばれる。また、全部を明朝綴りにしているが、おそらくこの製本は職人でなく大学自らか又、家人が製本したものと思われる。『彗星夢雑誌』は全く手づくりである。

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