日本の住宅のインテリアを考える時に、忘れてならないのは、靴脱ぎの生活である。先進国の中で、室内で靴を履かない習慣を持つのは、韓国と日本だけである。写真で見ると、ヨーロッパのインテリアと同じように見えるが、日本では使われ方が大きく違う。床の上に寝転べるからウサギ小屋と悪口をいわれながらも、狭い家で生活できているのである。
こうした住まいの空間の違いは、宇宙観のとらえ方の違いにも共通するものがある。ヨーロッパの人達は宇宙といえばローマのシスティナ礼拝堂のように、できる限りの大きな空間を作って、天井には何百人もの裸の絵を描く「最後の審判」に表現される空間こそが、彼らの考える天地の姿なのである。
ところが、日本人は、宇宙の真理を逆方向に求めた。空間を膨張させて考えるのではなく、中心へと凝縮していくのである。禅宗でいう方丈とは、一丈四方(3立方メートル)の立方体が全宇宙だという考え方である。それを造形的に表すと京都龍安寺の庭のように、白い砂の上に15個の石を置いただけという解答になる。
美しい空間に、さらに美しいものを重ねておこうとする「多々ますます弁ずる主義」と、小さな庵で、簡素な一服の茶を楽しむ「わびさび」の思考は、同じく、美しさを求める考えでありながら正反対の形になってくるのである。
千利休は、花盛りの庭の朝顔をあえて切り落とし、一輪だけを残して、それによって万花以上の効果を求めよと教えたが、ヨーロッパの人達には、そのような考え方は理解しにくい。
戦後日本の家は、急速に洋風化した、それは直線文化から曲線文化への変化を見ることもできる。習慣や、ものの考え方、環境などが変わっても、日本人は相変わらず日本人的であり続ける。だから、家と住み手の感性をつなぐインテリアは、最も大切な部分だが、先に述べた課長さんの家的なデザインでは、満足されないであろう。ここで、2組のイラストをもう一度見直して、日本の住宅のインテリアがどの方向に進むかを考えて頂きたいと思う。
【伊勢神宮】形あるものはやがて滅びるが、型は滅びないで永久に伝わる。森や林の中にあってこそ神の宮居で、20年に1回の建て替えは人生60年の間に1度は習い、1度は建て、1度は教えるという意味をもつ