ここで、建築学における、住宅の位置づけについて簡単に触れておきたい。現在、建築学会では一年間に約9000編の研究論文が発表されている。だがその中で住宅に関するものは極めて少ない。しかも、それらは集合住宅に関係するもので、戸建住宅については構造の問題以外は皆無に等しい。そのことについては、次のような意見がある。
現在の日本の建築技術が、世界一流のレベルにあることは誰もが認めるところである。その技術は明治の初めにヨーロッパから輸入されたものだが、その源流をさかのぼると、帝王の権威と宗教の権威に奉仕をするところから始まった。
豪華な王宮を建て、壮大な伽藍を作った人が勲章を貰い、銅像が建ったという意味である。その技術が日本に伝えられたとき、帝王の代りに官庁が、宗教の代わりに企業が入れ代っただけで、庶民の住宅は町の大工さんに任されたままで、今日に至っている。だから学会から恩恵は受けていなかった。
住宅産業が生まれた昭和40年代になって、ようやく市民権を与えられたのだから学問的な基礎ができていない。だから、レベルが低いのだと言うのである。いささか、偏った見方という嫌いはあるが、住宅問題の一面を突いた評論といってよいであろう。
さて、「ハウス55プロジェクト」は昭和55年に終ったが、57年に通産省の産業構造審議会がその成果を評価した報告書を作った。その中に、次のような反省の言葉が書かれている。
「このプロジェクトの考え方は音楽にたとえていうと、名器を作ってばら撒いたら、誰でも名曲が弾けるという発想だが、それは早計であろう。どうすれば名曲が弾けるというソフトの研究が欠けている。それでは雑音が出るばかりで名曲は弾けないのではないか」というのである。
これは、家を造る側に対する教訓だが、同時に住む側にとっても大切な示唆であろう。考えてみると、住宅というのは、まず初めに気候風土があって、それに長い生活体験が加わってそれぞれの地域に合った民家が生まれたのであるから、民家は、地域文化の結晶というべきものである。
それが、工業化住宅の普及によって、北海道から沖縄まで課長さんの家で埋まったら、日本文化の破壊につながるのではないか。自動車は交通機関で生活の器ではないから、大量生産方式で差し支えないが、家は生活の容れ物だから、自動車とは全く異質のものだ。その本質を忘れては、住まい文化の目的は達せられないというのである。
住宅産業によって生まれた工業化住宅は、見映えがよくて装置も充実しており、インテリアも華やかに飾られていたから、長い間良い家に恵まれなかった庶民にとっては、理想の住まいとして受け入れられた。
しかし、それに長く住んでみると薄っぺらで奥行感がなく、奇をてらったようなインテリアは、次第に飽きられるようになった。住み手の眼が肥えてきたので、だまし絵的な厚化粧は飽きられてきたのである。そのことについては「住んでみたがどうしても愛情が湧いてこない」という住み手の言葉がその欠点を代表していると見てよかろう。
【京都御所紫宸殿】紫宸殿は装飾を取り除いてすべて直線で構成されている。桂離宮もこの考えで作られているところに特徴がある