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    ID:
    33149
    年:
    2015
    月日:
    0526
    見出し:
    戦闘機木製燃料タンク 現存 
    新聞名:
    読売新聞
    元UR(アドレス):
    http://www.yomiuri.co.jp/local/ibaraki/news/20150525-OYTNT50368.html?from=ycont_top_txt
    写真:
    【写真】
    記事
    第2次大戦中、日本の戦闘機が使っていた木製の増槽ぞうそう(追加燃料タンク)が、桜川市真壁町東山田の民家でほぼ当時のまま残されていたことがわかった。
    視察に訪れた同市教育委員会の職員は「全国に20個もないのではないか。
    来歴もわかっており、貴重な戦争遺物だ」と話している。  増槽とは、航続距離を伸ばすため、戦闘機や戦車などの外部に取り付けられた燃料タンク。
    大戦中の日本の戦闘機は、戦闘直前に切り離して落下させ、使い捨てにしていたという。  増槽が保存されていたのは、同所の鈴木克巳さん(64)方。
    祖父の憲一さん(故人)が門の入り口につり下げたらしい。
    長さ約2・2メートル、直径約50センチの葉巻型で、合板のような厚さ約5ミリの木の板で作られ、全体が白く塗られている。
    70年間も屋外で風雨にさらされたにもかかわらず、保存状態は 良好だ。
    同市教委では、戦闘機の紫電または紫電改のものと推測する。  憲一さんが「紫尾小学校創立九十周年記念誌」に投稿した「紫尾上空空戦の回顧」によると、1945年6月23日午前11時半頃、米軍のP51戦闘機が数機来襲して紫電が迎撃。
    紫電1機が近くに墜落した。  周辺住民は、撃墜された日本機の搭乗員の遺体を捜索して収容し、地元区長宅で慰霊祭が行われた。
    その際、増槽は、地域の有力者だった憲一さんの元に運ばれたという。  鈴木さんは「こんな物資もない国がよくも戦争をしていたと思う。
    いかに先の大戦がひどかったか、いい証拠になる。
    ずっと残したい」と言う。  今月21日には、所在を知っていた筑西市の郷土史家、桐原光明さん(67)の案内で、桜川市教委生涯学習課の越田真太郎主幹が鈴木さん方を訪れた。
    越田さんは「こうした増槽は使い捨てだったせいか、ほとんど残っていないと思う。
    物がないなりに、技術で勝負したということでしょうか」と話していた fff:

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