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- ID:
- 32531
- 年:
- 2015
- 月日:
- 0224
- 見出し:
- 木製爆撃機の指示書発見 松下の家電量産に着目
- 新聞名:
- 中日新聞
- 元UR(アドレス):
- http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015022402000087.html
- 写真:
- 【写真】
- 記事
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物資の不足が深刻化した第二次大戦中の一九四三(昭和十八)年、実戦を視野に入れた木製の訓練用爆撃機「明星(みょうじょう)」を開発し、松下電器産業(現・パナソニック)グループに量産させることを決定した日本海軍の機密公文書が、防衛省防衛研究所(東京都目黒区)で見つかった。
松下は航
空機の製造技術を持たなかったが、軍は家電製品の大量生産技術に着目して松下を選んだことが明記されており、戦時下の兵器の発注の内幕を具体的に示す史料として注目される。
ラジオなど民生用電機メーカーだった松下が軍の要請で飛行機を製造したことは知られているが、軍の決定過程を詳しく記した文書が見つかるのは初めて
史料はA4判用紙計七ページ。
提案書も含め二部にわたる。
四三年十月十四日付の文書「航本機密第一四八七七号」には「軍極秘」の印があり、決裁者は海軍航空本部長とみられる。
「木製機計画」について「試作実行」を指示。
真珠湾攻撃で使われた九九式艦上爆撃機の設計を基に訓練用爆撃機の開発を命じている。
実戦を視野に入れ、爆弾や銃が搭載できる仕様だった。
軍による試作後、量産させる企業は「松下飛行機」と明記。
軍の要請で松下が生産準備のため直前に設立し
た子会社を指定した。
松下を指名した理由として、技術担当責任者による付随の文書「木製飛行機試作及生産準備ノ本格的開始ニ関スル提案」(同年七月十八日付)は「多量生産技術ニ異常ノ熱心ヲ有スル」と記す。
当時松下はラジオ生産に最先端だった流れ作業方式を採用、軍はその技術に着目し船を生産させていた
中島飛行機(現・富士重工業)など既存の軍需企業の生産が限界に達し、軍は生産技術だけを頼りに松下に要請せざるをえないほど苦境に陥っていたことを示す
木製にする理由は、航空機の主材料であるジュラルミン(アルミニウムや銅の合金)が不足する一方、木製の「硬質合板」実用化の研究が進んだことを挙げた。
戦局悪化で原材料輸入がほぼ途絶え、軍用機としては異例の素材の使用に追い込まれたことが読み取れる。
松下飛行機は大阪府・住道町(現・大東市)に工場を建設したが、飛行機の専門家はおらず、製造機械の調達なども難航。
一号機は終戦の年の四五年一月に完成した。
時速三百五十キロの計画性能は満たしたが、軍の目標「月産二百機」を大きく下回り、社史によると終戦までに完成したのは計四機
だけ。
前線配備はされず、幻の爆撃機に終わった。
◆民生技術を武器転用
<下谷政弘・福井県立大学長(日本経営史)の話>松下電器産業を持ち株会社とする松下産業団(松下グループ)は日中戦争が本格化してから、無線や乾電池など既存の各部門が兵器の部品生産に乗り出したが、一九四三年になると、軍の求めに応じて企業が新設されるようになり、松下飛行機は
その一つだった。
防衛研究所の史料は、同社設立への海軍の要請を裏付ける貴重な資料だ。
優れた民生技術はいつの時代も武器転用される危険があることを忘れてはならない
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