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- ID:
- 29356
- 年:
- 2014
- 月日:
- 0105
- 見出し:
- 大震災耐えた「県内の山林に架線」平城京で制作?
- 新聞名:
- 読売新聞
- 元UR(アドレス):
- http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20140105-OYT1T00214.htm
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
阪神大震災で全壊した臨済宗・福海ふっかい寺本堂(神戸市兵庫区)で奇跡的に残った本尊・釈迦如来坐像ざぞう(高さ69センチ)が、奈良時代後期(8世紀後半)に制作された可能性の高いことが松浦正昭・元富山大教授(仏教美術史)の調査でわかった。
エックス線撮影で、8世紀後半に盛んだった技法「木心乾漆造もくしんかんしつづくり」が使われていたことを確認した。
福海寺は、室町幕府を開いた足利尊氏が1344年に創建し、この像も当時からあったと伝わる。
戦時中に流出したが、空襲で焼失した寺を戦後に再興する際、先々代の住職の親族が買い戻した。
1995年の阪神大震災では本堂から無事に発見。
住民からは「不死身の仏像」と呼ばれている。
昨年11月、松浦元教授がエックス線で内部構造を調べた。
その結果、木製の原型(心)が確認でき、木心乾漆造りと判断した。
さらに、松浦元教授は、衣装のひだやしわの表現が法隆寺(奈良県斑鳩町)に伝わる同じ造りの弥勒みろく菩薩坐像(奈良時代後期、重要文化財)と似ており、蓮はすをかたど
った台座も同寺伝法堂の阿弥陀あみだ三尊像(同)と共通しているとみる。
松浦元教授は「福海寺近くにあった古代の港・大輪田泊の周辺には、奈良時代に法隆寺の修行場や荘園があったとされており、修行のため奈良から持ち込まれたのだろう」と推測する。
また、漆は少量しか採れず高級品だった。
漆をふんだんに使っていることなどから、大橋一章・早稲田大名誉教授(東洋美術史)は、平城京の官営工房で造られた可能性を指摘。
「技法と外観の特徴から見て国の工房で造られたのではないか。
貴重な木心乾漆像が奈良の都以外で見つかったことは意義
深い」と語る。
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