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- ID:
- 27728
- 年:
- 2013
- 月日:
- 0522
- 見出し:
- 船大工の技術を結集
- 新聞名:
- 徳島新聞
- 元UR(アドレス):
- http://www.topics.or.jp/special/13689418974719/2013/05/2013_13691837409747.html
- 写真:
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- 記事
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四所(ししょ)神社(徳島市福島2)の古めかしい倉庫の中から、20人ほどの氏子たちに引かれ、船だんじりが勇壮な姿を現した。
大きな木製の車輪は、動くたびにギシギシと重厚な音を響かせる。
約200年前の藩政期に、安宅や福島など神社周辺に住んでいた船大工たちが造ったといわれる。
2層式の唐破風の屋根、側面には竜の彫刻が施される。
黒と朱で豪華に塗られた船形のだんじりは、舳先(へさき)から艫(とも)までの長さが5メートル近くある。
「まさに船大工たちの技術の粋を集めただんじりで、私たちの町の誇りです。
木工業の盛んなころは、これを引く若い衆がようけおりました」。
四所神社奉賛会会長の近藤昭二さん(85)=城東町2=が力を込めた。
毎年、秋祭りの10月28日に町を練り歩く船だんじり。
小御輿(こみこし)、本御輿に続き、船だんじりが運行する。
本来は1年に1度しかお披露目しない船だんじりを、五月晴れのこの日、撮影のため境内まで特別に出してくれた。
化粧幕や幟(のぼり)も立て、本番さながらの迫力だ
自営業野田栄治さん(56)=福島1=は「蜂須賀さんの参勤交代ゆかりの船だんじりやけんな。
20代のとき、初めて引いたときには気が引き締まる思いがした」と懐かしむ
大正生まれの宇野忠義さん(87)=福島1=は「お宮に参りに行けない高齢者が、御輿や船だんじりに拝む姿を見て、美しい日本の風習だとあらためて感銘した」と誇らしげに話した。
徳島城下から海路大阪へ渡り、上陸した後、江戸へ向かった蜂須賀家の参勤交代は、大規模で派手なものだったという。
藩主の御座船に続いて付き添う阿波水軍の大船団の行列は壮観だったに違いない。
その様子を彷彿(ほうふつ)させる船だんじりは、圧倒的な存在感がある。
「木工の街だったので、少々壊れても修理できる名人がようけおった。
動く状態に保存できているのはすごいこと」と富永功さん(63)=福島2。
子どものころに倉庫に忍び込んで船だんじりの上で遊んだという冨士村韶一(しょういち)さん(77)=安宅1=は「あちこち傷んだと思うが、あのときも先輩たちが直して
くれたんかなあ?」と、いたずらを告白しながら笑った。
その船だんじりに欠かせないのが御座船太鼓。
参勤交代の際、水軍が櫓(ろ)をこぐテンポを合わせるためにたたかれた伝統芸能だ
数少ない継承者の一人、岩田公文(ひろふみ)さん(77)=福島1=は戦前から続く畳屋の3代目。
「打ち方が複雑で、かなり難しい。
昔はたたき手がようけおったけど、今はほとんどおらんようになってしもた」と嘆く
後継者を育てようと、数年前まで地元の福島小学校で、氏子有志が指導していたこともある。
しかし、指導者の高齢化が理由で途切れた
岩田さんも、近ごろはけがや病気が多く、技術の継承ができない
しかし、近藤会長ら奉賛会の人々は希望を捨てていない。
「御座船太鼓の譜面や過去の映像などは残してある。
伝統文化を維持していくのは大変なことだが、それらを生かしながら次世代への継承を図りたい」
毎週、四所神社境内の清掃を欠かさない奉賛会、徳島市民遺産にも登録されている船だんじりをこよなく愛する地域の人々…。
杯を交わしながら思い出話に興じる氏子たちの姿を見ていると、阿波水軍の流れをくむ伝統文化が、これからも脈々と守られていくに違いないと思えた
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