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- ID:
- 26503
- 年:
- 2013
- 月日:
- 0116
- 見出し:
- どんと焼き:大雪の中、仙台・大崎八幡宮に観光客9万人近く
- 新聞名:
- 毎日新聞
- 元UR(アドレス):
- http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20130115ddlk04040002000c.html
- 写真:
- 【写真】
- 記事
-
小正月を前に14日、全国各地でどんと焼き(左義長(さぎちょう))が行われた。
仙台市青葉区の大崎八幡宮でも気温が氷点下となる大雪の中、伝統の松焚祭(まつたきまつり)が行われ、9万人近い観光客らで、大にぎわいとなった。
正月飾りをたきあげ先祖の霊などを送る祭礼で、大崎八幡宮では伝統の裸参りが行われた。
今年は昨年を超える3000人近くの男女が、白さらしに半股引(またひき)姿などで御神火(ごしんび)の周りを歩いた。
市民団体「仙台伝統裸参り保存会」の会員らは、「不忘復興」と書いた木製の板を奉納し、東
日本大震災からの復興を祈願した。
99年から裸参りをしているという同市青葉区の仙建工業は、今年も一番乗りを目指して午後3時前に到着。
初めて参加する同社の菅原康太さん(27)は、「復興関連で増える工事の安全を祈願した」と寒さに震えながら力強く話した。
大崎八幡宮では成人の日が15日から第2月曜日になった2000年以降、参拝者が一時は5万人近くにまで減っていた。
しかし、震災後初となった12年からは、祈りの場として見直され、参拝者が大きく増えたという。
【山越峰一郎】
◇80年代から広まる イベント化に批判も
仙台市青葉区の大崎八幡宮など県内各地で行われたどんと祭。
実は、その多くは「伝統行事」ではない。
仙台市教委文化財課によると、「各地に広がったのは1980年代くらい」という。
62〜64年度の文化庁調査を受けて出された「日本の民俗 宮城」には、「県下には他地方のトンドのような松焼きの正
月送りは仙台市の大崎八幡社以外にはないらしい。
(正月飾りは)ほとんどが(自宅の)屋敷神に納め(ている)」と書かれている。
◇
市教委によると、もともと県内に正月飾りを焼く習慣があるのは、大崎八幡宮以外では七ケ宿町、加美町などの一部のみ。
しかし、都市化に伴って住宅事情が変わり、「飾りを納める場所はないが、捨てるのは気が引ける」と、町内会や神社がどんと祭に着目して広まり、仙台市消防局によると、市内だけで
も計139カ所で行われる。
雪が降りしきる中、どんと祭の御神火を回る「裸参り」をする人たち=仙台市青葉区の大崎八幡宮で14日、小川昌宏撮影
大崎八幡宮のどんと祭は300年の歴史を誇るが、確実にさかのぼれるのは164年前の1849(嘉永2)年の史料まで。
「どんと祭」という呼び名は、1906(明治39)年の新聞記事で使われてから広まった。
また「松焚祭」という大崎八幡宮による正式名称も同時期からで、以前は「祭礼」「暁参り」などと書
かれている。
裸参りの起源は、岩手県紫波町などから出稼ぎで来た造り酒屋の杜氏(とうじ)が酒造安全を祈願したものとされ、1850年ごろの史料に登場。
酒造りはかつて女人禁制だったため、女性参加が広まったのは1980年代以降で、戦後しばらくは女性は奇異な目で見られていたという。
60年代からは仙台七夕まつりや青葉祭りと並ぶ「仙台三大祭り」として売り出され、イベント化に拍車がかかった。
騒がしくなって企業PRが目立つようになったことへの批判もある。
◇
05年に仙台市は、大崎八幡宮のどんと祭を市無形民俗文化財に指定した。
その調査報告書は、「特定の神社の伝統ある祭事としてよりも(中略)新たな都市の習俗であり、貴重な民俗文化財」と結ばれている。
どんと祭は太古の昔からあるものではなく、現代の人の手で育まれた。
今後どのように維持・発
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