v11.0
- ID:
- 木地師になって15年がたった。
目指す頂にはまだまだだが、今日もろくろを回し続ける。
「自分のベストを尽くす。
それしかないさかい、な」
49343
- 年:
- 2011
- 月日:
- 0104
- 見出し:
- 「龍神材」ブランド化へ
- 新聞名:
- 読売新聞
- 元UR(アドレス):
- http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/news/20110103-OYT8T00699.htm
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- 記事
-
清流日高川が流れる谷あいに、かぐわしい木の薫りが満ちあふれていた。
田辺市龍神村安井にある龍神村森林組合の製材工場では、山から切り出された原木が次々に皮をむかれ、規定の大きさに切られていく。
組合専務理事の真砂佳明さん(42)は1本の杉に手をやり、「この淡い桃色こそが龍神材の特徴なんです」と胸を張った。
「龍神材」の名は、昨年11月に商標登録されたばかり。
地域名に商品名などを組み合わせる「地域団体商標制度」に基づき、特許庁に認められた。
「先人たちの努力の成果。
森林は我が国が唯一持つ資源なんです」と真砂さんは言葉に力を込める。
龍神村での植林の歴史は、江戸時代に遡る。
龍神の杉やヒノキは、年輪が細やかで色合いが美しく、強度もあるとして住宅用材として長く愛されてきた。
龍神村の林業が最も輝きを放ったのは、1960年代から70年代にかけて。
質の高さから売り上げは急拡大し、村は林業を地域振興の根幹に据えた。
木々が地域を支え、栗原秀嘉組合長(67)は「まさに黄金時代だった」と振り返る。
だが、1960年代の木材の輸入自由化で、市場は安い輸入材に席巻され、国産杉の価格は最盛期の5分の1に下落。
住宅着工件数の落ち込みや、生産者の高齢化や後継者不足も追い打ちをかけた。
龍神村でも、ピーク時の94年に約160人いた林業従事者は今や約100人。
逆風の中、組合が目を向けたのが、地域ブランドの保護と経済の活性化を目的とした地域団体商標登録制度だった。
5年前、田辺市で開かれた制度の研修会に組合職員が参加。
「龍神材の名前を広められるのでは」と資料集
めに奔走し、特許庁に掛け合って、登録を実現した。
失地回復を目指す組合の攻勢を後押しするように、外国産材の値上がりや、環境への配慮から国産材が見直されるなど、かすかな追い風も吹き始めた。
新たな視点で有効活用を図る動きもある。
東京大生産技術研究所の腰原幹雄准教授(建築構造学)は、県の協力を得て、間伐材を小さな積み木のように加工して建物を組み上げる「木造ブロック積層工法」で約50平方メートルの実験棟を試作。
不ぞろいで柱などに使いづらかった間伐材を生かす試みで、腰原准教授は「紀州材は間伐材でも強
度や粘りが素晴らしい。
創意工夫でもっと活用できるはず」と話す
栗原組合長は「木の文化を築き上げた日本人の遺伝子には、木への愛情が刷り込まれている。
木が身近にある潤いある暮らしを送ってもらいたい」と話し、市場ニーズの分析や販売ルート開拓など、ブランド化の次の一手を模索する。
切り出される木々の年輪には、人々が積み重ねた努力も刻まれている
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