ID : 9224
公開日 : 2008年 11月 3日
タイトル
プラモと半世紀(1)タミヤ会長・田宮俊作さん
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新聞名
MSN産経ニュース
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元URL.
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/081104/biz0811040303000-n1.htm
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写真:
写真が掲載されていました
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■高品質の米国製品見て感嘆
--プラモデルの国産第1号が昭和33年に誕生してちょうど50年です
田宮 マルサンの「原潜ノーチラス号」ですね。あれはアメリカ製をコピーしたもので、おもちゃのような製品でした。僕が父の経営する田宮商事に入社したのは、その年です。製材業で設備投資の借金がある上、26年
に漏電による失火で工場を全焼して大変なときでした。7人兄弟で生活が苦しい中、何であれ家業を継がなくてはと。仕入れの負担が少ないという理由で製材業を縮小し、木製の軍艦模型を始めたころです。
--どんな模型でしたか
田宮 旧日本海軍の戦艦を「大和」から何から全部作りました。でも、木製のキットは、木のブロックを職人さんが持つようなカンナやノミ、小刀を使って削り、下地塗料を塗ってから塗装する。なかなか難しくて一般的な
ものではなかった。プラモデルは下地がいらず、接着剤で作るので完成率が高い。35年に輸入されるようになって、木製の模型は負けました。そのころの製品も、本社(静岡市駿河区)の「歴史館」に保存してありますよ。
--世はプラモデル時代に?
田宮 僕が初めて見たのは、モノグラム社(米国)の「M48パットン戦車」でした。パッケージに描かれたイラストもすごいし、複雑な形の車体がそのままに再現されている。「いやー。すごいな」と思いましたね。どうやっ
たら、こういうものが作れるのかと…。こうしたプラモデルが入ってきた途端、木製の軍艦の注文がなくなった。出荷がなくなると、社員がやめていったので、仕方なく僕が設計までしましたが、本当に弱ったなと思いました
。
--タミヤのプラモデル第1号は?
田宮 35年に発売した縮尺800分の1の「戦艦大和」です。同時期に発売された別のメーカーの大和のほうが製品として上で不振でした。向こうはすでに何点か出して成功していた。こちらは、父が四苦八苦して資金
繰りをしてやっと作ったものが売れなかったんです。(磯山道彦)
◇
【プロフィル】田宮俊作
たみや・しゅんさく 昭和9(1934)年、静岡市生まれ。早稲田大学法学部卒。昭和59年「タミヤ」社長。平成20年6月から会長(現職)。現在、静岡模型教材協同組合理事長を務める。タミヤを世界トップブランドに育て
た。著書に「田宮模型の仕事」「伝説のプラモ屋」(文春文庫)などがある。
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