ID : 9103
公開日 : 2008年 10月17日
タイトル
江戸の技「角乗」守る江東の保存会、あす披露会
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20081018-OYT8T00131.htm?from=navr
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元urltop:
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写真:
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水に浮かべた角材の上で、自由自在に軽業を繰り出す「角乗(かくのり)」。江戸の技を継承している「東京木場角乗保存会」(川藤健司会長)が19日、年1回の披露会を都立木場公園(江東区木場4)で開く。本職の
材木業者は減り、べらんめえの指導も難しい時代。同会の長老、中村喜三郎副会長(80)に伝統芸への思いを聞いた。(岩永直子)
角乗は江戸時代、材木の集積地だった木場で、材木の仕分けや運搬を行っていた「川並」と呼ばれる筏(いかだ)師の余技として生まれた。水面の材木を筏に組み、それに乗って、買い手に運ぶのが川並の仕事。深川っ
子の中村さんは、終戦後の1946年、川並になった。
最高難度の技「三宝乗り」を披露する若い頃の中村さん すぐ角乗を始めたわけではない。「当時は各組(会社)の若い衆が個々にやっていて、ある組は『一本乗り』、別の組は『手離し乗り』と、それぞれのお家芸を外に出
さなかった」
52年、都が無形民俗文化財に角乗を指定したのが転機になった。親方衆が同年9月「東京木場角乗保存会」を結成。技を教え合う文化が生まれ、入会した中村さんも次々覚えていった。
だが、そこは職人の世界。手取り足取り教えるわけではない。3段に重ねた三方の上で逆立ちをする最高峰の技「三宝乗り」を中村さんが習得したのは、新聞記者の前でぶっつけ本番で披露した時だった。高い技術は
評判を呼び、中村錦之助や高橋英樹らの映画に出演したのもいい思い出だ。
指導役に退いた80年代初め、会員の高齢化が進み、材木業以外にも入会を認めるようになった。88年には初めて女性も入会。今では約30人いる会員のほとんどが部外者となった。
指導は手取り足取り。どなることもしなくなった。子供をかごに乗せたり、肩車したりする技は、水に飛び込んだ子供が、ひょっとこなどのお面をかぶって顔を出すのがオチだったが、水の汚れや、けがを恐れる風潮で見
せ場は消えた。
「おれたちの時分は『けがと弁当はてめえもち』だったけど、今は『責任者が付いててなぜけがさせたんだ』っていう時代だから安全第一。伝統を守れって言うけどなかなか難しいよ」
でも、若い人が真剣に技を覚えようとする姿を見ると、指導をやめられない。
角乗の魅力を聞くと、中村さんは照れた顔で言う。「粋だいなせだって言われるけど、やってる方はわからない。見る人が好きに楽しんでくれればいいんだよ」。19日は午前11時から。
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