日本の文学小説の中で5番目に出現が多いのはヤナギです。
ヤナギの名前を小説に入れた作家は44名います。また1つ以上スギの名前を使った小説としては119ありました。
すべての小説での出現回数は478箇所ありました。
最も出現回数の多い作家は先に宮沢賢治で101箇所、 次は島崎藤村で38箇所です。
以下、幸田文の37箇所、夏目漱石の32箇所、泉鏡花の29箇所、藤沢周平の16箇所、森鴎外の10箇所です。藤沢周平の小説の読書はまだ少ないので、すべて読めばこれの何倍にもあると思います。時代背景的にヤナギは合いますから。
また小説別では、宮沢賢治の「古鳥をとるやなぎ」40箇所、幸田文の「木」37箇所、夏目漱石の「吾輩は猫である」16箇所、泉鏡花の「婦系図」15箇所、宮沢賢治の「十月の末」9箇所、森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」、泉鏡花の「国貞えがく」、島崎藤村の「破戒」、「藤村詩集」がそれぞれ8箇所でした。
以下に面白い、素敵、綺麗な表現のあるものをピックアップします。
ヤナギに関する情報と写真はコチラ
- 森鴎外の「雁」
- 微かに揺れている柳の糸、その向うの池一面に茂っている蓮の葉とが見える。(46頁)
- 夏目漱石の「吾輩は猫である 」
- 「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭はあいかわらず飄然たる事を云う。(86頁)
- 尾崎紅葉の「金色夜叉 」
- 弱りし心は雨の柳の、漸く風に揺れたる勇を作して、(515頁)
- 島崎藤村の「桜の実の熟する時 」
- 青い柳の葉を心ゆくばかり嗅いだ。(68頁)
- 泉鏡花の「国貞えがく」
- 門の目印の柳と共に、枝垂れたようになって、折から森閑と風もない。(116頁)
- 永井荷風の「ふらんす物語 橡の落葉」
- 「親しき友よ、われ死なば、柳を植えよ。わが墓に。」(270頁)
- 永井荷風の「ふらんす物語 橡の落葉」
- 水の中(うち)見よりは柳の大樹生じて、道の上にまで、その長き枝を曳きたり。(280頁)
- 岡本かの子の「食魔」
- 堤の芽出し柳の煙れる梢に春なかばの空は晴れみ曇りみしている。(231頁)
- 宮沢賢治の「楊の木」
- けれどもいまでもまだ私には、楊の木に鳥を吸い込む力があると思えて仕方ないのです。(411頁)
- 川端康成の「古都」
- ほんとうにしだれ柳である。みどりの枝が、地につきそうに垂れて、いかにもやさしい。(52頁)
- 林芙美子の「放浪記」
- 所詮、私と云う女はあまのじゃくかも知れないのだ。柳は柳。風は風。(242頁)
- 幸田文の「木」
- その柳の群はたいへんけなげに息づいてした。(140頁)
- 井上靖の「天平の甍」
- 早春の陽を浴びて伊水(いすい)
の水は温(ぬる)み、河畔の柳は生暖かい風にゆったりと揺れ動いていた。(53頁)
- 三島由紀夫の「金閣寺」
- 大そう聡明な一本の大きな柳が、濡れそぼった葉を重たげに垂らし、みずからに霧に揺られながら、現れたりした。(232頁)
- 宮尾登美子の「寒椿」
- 年も二十一の盛りとあって匂い立つわほどのあでやかさ、柳が歩めば花がもの云う、などと譬える人もあって、(291頁)
- 藤沢周平の「闇の穴」
- 柳の新葉が一せいに風にひるがえり、まぶしいほど目を弾(はじい)た。(112頁)
- 藤沢周平の「小川の辺」
- 時折柳の木が髪をふり乱すように枝を打ちふり、新葉が日に光るだけである。(72頁)