ツバキ花としてはとても魅力がありますが、花の寿命のあとポトリと落ちる姿が嫌だという人も多い。
実は良質の油でオリーブ油と並ぶ最良で食用、灯油、薬用、化粧油として未だに根強く残っています。。
すべての小説での出現ランクは10番目で、作家の取り上げも10番目でした。
ツバキの名前を小説に入れた作家は34名います。また1つ以上ツバキの名前を使った小説としては53の小説でした。
すべての小説での出現回数は228箇所ありました。
ツバキが一番出現する小説は有吉佐和子の紀ノ川です。
最も出現回数の多い作家は川端康成で32箇所、 山本周五郎の32箇所です。
以下、水上勉の27箇所、夏目漱石の21箇所、宮尾登美子の12箇所、田山花袋の8箇所、藤沢周平の8箇所、島崎藤村の7箇所、渡辺淳一の7箇所、新田次郎の7箇所でした。(以下省略)
また小説別では山本周五郎の「五瓣の椿」の32箇所、水上勉の「越前竹人形」の26箇所、川端康成の「眠れる美女」の23箇所、夏目漱石の「草枕」の14箇所、宮尾登美子の「寒椿」の12箇所、田山花袋の「田舎教師」の8箇所、新田次郎の「アラスカ物語」の7箇所、川端康成の「山の音」の7箇所、渡辺淳一の「桜の樹の下で」の7箇所、藤沢周平の「閉ざされた口」の7箇所でした。(以下省略)
以下に面白い、素敵、綺麗な表現のあるものをピックアップします。
ツバキに関する情報と写真はコチラ
- 夏目漱石の「草枕」
- 落椿の下に、伏せられながら、世を香(かん)ばしく眠っているかも知れぬ。(73頁)
- 椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向で見ても、軽快な感じはない。(120頁)
- あれほど人を欺花はない。余は深山椿を見る度にいつでも妖女の姿を連想する。(121頁)
- 年々落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶け出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。(122頁)
- 夏目漱石の「こころ」
- その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花はもう一つも見えなかった。(45頁)
- 田山花袋の「田舎教師」
- 垣の隅には椿と珊瑚樹との厚い緑の葉が日を受けていた。(11頁)
- 早咲きの椿はわずかに赤く花を見せたばかりで、厚いこい緑の葉は、黄いろい寒菊の小さいのと趣きに富んだ対照をなした。(202頁)
- 山本周五郎の「五瓣の椿」
- 椿の木の幹は灰色で、空は鬱陶(うっとう)しく曇っていたようだ(38頁)
- すべてがしらちゃけた淡色にいろどられている中で椿の葉の黒ずんで光る群葉と葉がくれにつつましく咲いている紅い花とは、際立っているようで却ってものかなしく、こちらの心にしみいるように思えた。(38頁)
- 壺井栄の「二十四の瞳」
- 花たてのツバキはがらがらに枯て午後の陽をうけている。(243頁)
- 谷崎潤一郎の「吉野葛」
- 刻煙草を煙管の代りに椿の葉に巻いて口に咬え、嶮い道を楽に越えながら、(78頁)
- 佐藤春夫の「田園の憂鬱」
- 竹のなかには素晴しく大きな丈の高い椿が、この清楚な竹藪のなかの異端者のやうに、重苦しく立つて居た。(17頁)
- 与謝野晶子の「みだれ髪」
- 鶯に朝寒からぬ京の山おち椿ふむ人むつまじき(42頁)
- 夏目漱石の「それから」
- 烟(けむり)は椿の弁と蕊(すい)に絡まって漂う程濃く出た。(6頁)
- 有島武郎の「或る女」
- そうしたい誘惑を退けかねるように、紅椿のような紅いその唇に触れてみた(329頁)
- 谷崎潤一郎の「痴人の愛」
- それは私に、何か、椿の花のような、どっしりと重い、そして露けく軟かい無数の花びらが降って来るような快さを感じさせ、その花びらの薫りの中に、自分の首がすっかり埋まってしまったような夢見心地を覚えさせました。(123頁)
- 林芙美子の「放浪記」
- まるで未亡人か何かのように、何もかも黒っぽい色で、唇だけがぐいと強く私の目を射た。椿の花のように素敵にいい唇だ。1(45頁)
- 川端康成の「眠れる美女」
- 椿のかげの縁には夕映えがただようようだった。(53頁)
- 山本有三の「真実一路」
- 青いエナメルを塗ったような厚ぼったいツバキの葉が、一枚、一枚、りきみ返って日光をはね返していた。(129頁)