日本にも静かな巨人と呼ばれた木製飛行機がありました。名称は「ク七」という大型滑空機で、 昭和17年2月に軍から日本航空工業株式会社に試作の発注がされています。 会社ではすぐに京都製作所で基礎設計に着手し、5月には本格的な設計に入り、12月には設計を完了しました。 社内では「まなづる」と呼ばれていましたが、このような大型で木製の飛行機であるため、一筋縄では完成しないことは事前から予想されており、周到な計画が練られました。
まず、強度試験用の「ク七Ⅰ」が18年1月に完成し強度試験が完了したのは3月、その結果を反映した実用型の「ク七Ⅱ」を着手したのが6月で翌年19年7月に1号機が完成しました。
開発にあたって、できるだけ軽合金材料を節約することを目的としていたため木製化が図られました。木材の中でも重さと強度の関係から材料は木曽ヒノキを利用しました。ヒノキの産地が京都から近いこともあります。
昭和19年8月15日に初飛行した。 乗員2名、7トンの戦車などの重量物、あるいは30~40名の兵員を輸送することを目的としていました。 日本の航空機史上最大の滑空機(グライダー)です。 幅は35メートル、全長20メールで、ドイツのメッサーシュミット「Me321ギガント」にはおよびませんが、これに次ぐ大型機でした。 当時としては非常に進歩的な大型滑空機で、早く完成していれば威力を発揮していたと思われますが、試作機が完成した時には、すでに戦局が悪化し制空権が米国に移っているため、このような滑空機を 利用する機会はなくなってしまっていました。
これは小倉武夫さんの「空を飛んだ木」に書かれていた内容で、このことに私は興味を持ちました。木の情報発信基地の制作者としては当然というか、まとめることは義務であると考えました。
私達の子供の頃、少年マガジン、少年サンデーなどの特集には第二次大戦中の飛行機の記事がよくありました。それでベビーブーム世代(昭和22・23年生まれ)の人間は各国の活躍した戦闘機の名前や性能はだいたいのところ知っているのです。しかしこの「ク七」のことや、当時の飛行機の中に木材が使われていることを知らず、社会人になり、木材の仕事をするようになった始めて知ったのです。
最初に知ったのは英国のモスキート爆撃機です。当時では最速のスピードでドイツの戦闘機も追いつけない性能でした。この全木製の飛行機にはさまざまな物語がありますが、ここでは割愛させて頂きます。ユーチーブに開発から戦果までの動画が出ています。 「木の情報発信基地」にも1996年当初からこの飛行機が木製であること等を記載しておりました。おかげで多くのホームページでこの記事が転載されるようになり、木が重さ当たりの強度が他の素材よりも良いことなどが知れ渡ることになりました。
そこで、他の国にもこのような木を利用した飛行機がないかどうか、大戦を中心に調べデーターベースとして構築しました。元々先に述べたようにある程度の知識がありましたので、データーベースは完成しました。しかしホームページに掲載することができず、長いあいだデーターとしてしまい込んでいました。そして今年(2016年)になって、作成する事ができました。 その整理する過程でわかった事を次に記載します。
1.木を利用した飛行機がすべて良かったわけでなく、結果的には失敗の方が多かった。
2.木を利用した飛行機が成功したものとしては、エンジンなどに恵まれたもので、機体全体としてバランスが良かったものが結果として活躍した飛行機でした。
3.木を利用した飛行機で生産数が多いものが、よい飛行機だったとはいえない。
4.戦略資材として金属を使わないために、木を利用するという発想は各国とも意識としてありましたが、国によって生産状況はまったく異なります。
5.林業国の日本、昔から木の国といわれた日本ですが、木の工業化については欧米には負けていました。日本で木の飛行機が生産できなかったのは木構造の技術の差です。
6.木を利用した飛行機は一般に重くなり、金属製する方が軽くなりました。
7.飛行機に木を利用をする必要性から欧米、ソ連などの木構造の技術は進歩しました。
なお、この調査については、主に第二次大戦に絞り、なおかつ複葉機、ヘリコプターはこのホームページでは掲載しておりません。 写真などの多くはホームページ「軍用航空機データベース」を運用するT-keyさんに許可を頂いて掲載しております。
木の情報発信基地製作・運用者 中川勝弘