北国より日枝山二人を上ケ候ト云事ハ以来不承
候此程六七百人上京山崎の関所ヲ
支へ不申候てハ御持更役人不調法被申事ハ
三五日前と承リ候一説ニハ山崎天王山へ
薩兵相屯と申事も申唱候如何何事ニ候哉一々山
寺一昨年の跡を語事有間敷北国より
入候事ハ其情を得候不可然ト存候故家
と申外ニては別格の家柄二付手を空敷
致しおく事ハ有間敷雄箇ハ必らず可
有ハ薩人の情ト被存候其餘各国諸
家の兵士京都ニ満転のよし各所存
無之ては相済間敷是ハ
天朝を泰山の安ニ置可申との事も可有哉
西征の御軍卒は阮々十二隊御操
出候よし御十分の御勝利承様仕度候
昨日不取留事申上候深く恐入候付拝
謝如此二御座候 頓首
四月廿三日 定拝