得共 といたし論も無之両代官よりも所々へ
御尋合居処弥相違無之則剋鈴木町御代官
討手兵粮方早々差下り申候様被仰出候
一説ニ暁方浪士押よせ女子子供ハ早々立退キ
候やう申聞当町々へも立騒キ申間敷旨申諭
其後大砲打込候由県令ハ芸州出帳中
手代共多く討殺サル候由
慶応二年寅四月九日 暁
備中国倉舗陣屋焼討の事
同 四月十二日
備中浅尾前田陣家焼討の事
浪士凡百ニ三十人内両人召捕ニ相成候ニ
付各々性名大様相分かり申候尤浪士ハ四十
五人其の餘ハ百姓町人の由其後行衛
不相知
大将 十七才 益田主税義昌
同 十五才 福原 仁 真弘