候得は一切取引不仕門戸を〆切申候公辺
より召捕方も出来兼候姿ニ相見へ苦々敷
事ニ候いづれも交易は日本の大病ニ御坐候
得共其交易ヲ近頃ハますます烈しく
可致との御触出し候実ニ心得がたき
御政道ニ御坐候 略 長崎 米 四百文
酒 八百文
此熊本道可ハ長崎出生の医師ニて
当時薩州侯の医員となり浪花
道修坊南歩西傍住ミ以外医為業
四月一日 浪花某より書信
拙子隣町紙屋某長州下ノ関の産にし
て幼年より浪花へ来奉公終ニ養子
となり当年四十五六才当三月下関より
生国へ下り被表の見聞帰宅候うへのもの
語り 長防両国士不申及町人百姓
に至るまで剣法を学び国思を報せんと
して堅固に相かたまり候由此度公辺の御
処置を大ニ発憤いたし中々下々?も承代
の姿なし 今や大軍押寄をまつのミ