ては迷惑千万の義ニ候得は何卒
此度御下向の御役々様方格別の訳
ヲ以今一応私共被召出得と情実
被聞召分候様相成間敷哉然上ハ尚
も被聞召分かたき義候ハハ万一不得止
義ニ付不及是悲次第覚悟の外無
之と苦慮の餘り此段申上誠候間御採
用被成下候ハハ萬々難有存候此段不悪
御取計被下度事
四月二日
慶応二寅四月二十一日左ノ通り御城にて
聞繕ひ候由 寺内藤次郎申入候事
備中国ニて乱妨の浪士備前より船五艘にて
乗組出帆の折から蒸気船にて歩兵隊参り
三艘打砕残三艘ハ相洩行方相知不申
彼是心配の由大弐艘ニ乗組人数は六十
人余り有之由ニ御座候
長州赤川某当月十日出芸意致此度御
呼出しの内廿日頃?は出芸候筈ニ付ては
多人数ニ付賄方万端の義頼談致置