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樹から木までの散歩道
さくらなみき
今からの季節では自宅から木材団地までの通勤途中で柿の木がたわわに実をつけているのを見ることができる。
  柿は一般には中国原産とされ、わが国には古代に渡来しそれを果樹として改良普及したと言われているが、岐阜県瑞浪市で第三紀層から果実の化石が発見されてから日本原産説もでてきた。
  柿の名前の由来は赤い実が成る赤木(アカキ)、紅葉の色と果実の色の赤黄(アカキ)などから転化したといわれるが、決め手はない。英名はそのままで、外国でもそのまま通っている。学名のDiospyros kakiはDios(神)+pyros(果実)の意味である。
  柿の生産量を調べてみたら、面白い事実に気づいた。昭和48年からの統計があるが、みかん、りんご、ぶどう、ナシなどみんな大幅な減産になっているのに柿だけがほぼ一定なのだ。
  柿の葉はビタミンA・Cが多く含まれているが、ビタミンCは、緑茶の3倍以上、レモンの20倍も含まれている。 野菜に含まれるビタミンCは熱を加えると破壊され、含有量が半分になるが、柿の葉は熱に強いので、熱を加えるお茶や食品でも失われにくい。高血圧、動脈硬化、成人病の予防としても昔から利用されている。生で食べるか、天ぷらや混ぜご飯、煎じ汁で飲んだりされてきた。川端康成の伊豆の踊り子では「船中で蜜柑はよくないが、柿は船酔いい」とでてくる。
  木材としては柿ほど価格差の激しいものはない。黒色の縞や濃淡があるが、黒色で覆われるものを黒柿という。大きな材でも黒柿でなければタダ同然だし、黒柿となれば、小材でも高価になる。桑とともに銘木の双璧だが、現在では良質の黒柿は少なくなっている。床柱、高級家具、小物に利用される。
  柿は木材だけでなく、日本では果実、食品として文学や産業に大きな影響を与えてきた。
  渋ガキからは柿渋が採れ、自然素材・食のブームでネットでもさまざまなショップが販売している。
さくらなみき

さくらなみき
江戸時代には柿渋生産は重要産業であった。乾くと、ほとんど水に溶けないので強度の補強、防腐防水と耐久性のため、布や紙をコーティングするのに使われた。雨傘、本の表紙、のれん、うちわ、和紙のうるし下地、金箔を和紙に貼るときの接着剤などに使われた。 大量に利用されたのは漁網や清酒の生産時に使われた。
当社の木造事務所の外壁にはこの柿渋をベンガラと混ぜて塗っていた。この建物は今はないが、交差点に面した敷地にある石柱の文字は墨汁に柿渋を混ぜて塗ってある。これはもう35年も経ているが、風雨に耐えてまだ少し残っている。
  日本の和菓子は柿の甘さを基準にして決めたといわれている、そのため日本の甘さはほどよい甘さになっていると思う。京都の料亭などてデザートに出てくることがある。イタリア料理などでも時々出会うことがある。白ワインを少したらしてあり、とても美味しい。
  柿は日本の文学では漱石を始め多くの小説で出てくる。一番多く登場させているは有吉佐和子さんだろう。「華岡青洲の妻」ではすべてカキノキと動物の埋葬についての話で暗いイメージとなっているが、「複合汚染」や「紀ノ川」ではや主人公のカキへの愛着や和歌山の農村景色として描かれている。
  秋の情景を現すのにカキほどふさわしいものはない。各地の農家の周りには必ずカキが植えられ、樹、果実、干柿などが美術工芸品の題材にも多く描かれてきた。
  昔の農家では、梢の先に柿が一つだけ残している事があるが、木守(きまもり、こもり)、木守柿(きもりがき)という習慣で、神への感謝と言われている。また鳥のために残して置くとの解釈もある。このような習慣は果実に限らず、動植物、鉱物、水産資源や焼畑の仕方でも世界中であったのに、現代では根こそぎ集め収穫するようになった。自然への感謝や永遠の継続を願うという、心の余裕がなくなってしまったのだろうか。
さくらなみき

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