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日本人と木の文化

第7章 木材供給の歴史

8.鎌倉幕府と材木座

鎌倉に幕府がおかれてからのちは、政治の中心は関東に移った。ここでさらに新しい木材の需要がおこったので、近くの森林から伐り出されることになった。幕府造営に必要な木材および町づくりのための用材は、主として伊豆の山々から伐り出されたようである。それが船で由比ケ浜に運ばれたので、後になってその一部に材木座が設けられた。現在海水浴場として残っている地名はそれである。伊豆の山々はその後、鎌倉以外の地へも木材を供給するようになり、たび重なる伐採が続けられたのである。駿河の久能寺もまた、伊豆の木材によって建立されたものであった。右に述べたような事情にあったから、天城山や、狩野川流域の森林が急激に荒廃して行ったことは想像に難くない。先年の台風のとき、伊豆地方が莫大な被害を受けたことは、まだ私たちの記憶に新しいが、その原因の一つが近世の乱伐の結果によるものであることはいうまでもない。
 さてその後の大きな建物の例としては天正年間の京都方広寺の大仏殿の造営がある。豊臣家の滅亡につながる「国家安康」の鐘で有名なこの寺は、前記の内藤教授が述べられるようにすこぶる広大なものであったから、用材の調達は東大寺建立のときに似た苦労があった。建築用材の一部は、木曾川を下って伊勢湾に出し、紀伊半島を回って大阪に着き、淀川をさかのぼって京都に運ばれた。しかし棟木は大材でなければならないので、木曾からは求めることができず、ついに富士山中で探しあて、富士川を下って海に出し京都に運んだという。京都ではこのとき賀茂川を改修して、新しく運河を設けたことが記録に残っている。
*豊臣秀吉造営の京都東山・方広寺大仏殿の復元図(内藤昌氏復元)

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